①では筆者が観戦に1番エネルギーや時間を割いているサッカーというスポーツにおいて、その試合運営に欠かせない審判団という存在を今回のブログテーマにした。
そうした中で、筆者自身が持つ彼らに対する価値観や意識というのを述べてきたわけだが、今回の②では実際の審判に対しての考え方などをより深く掘り下げていきたい。
①でも述べたが、筆者は昨年(2017年)サッカーの試合を24試合観戦した。上は男子の日本代表から東京都リーグまで観戦した。
また成人男子のサッカーリーグとは異なるヒエラルキーにある、なでしこカップ戦や男子のジュニアユースの試合も含まれるというのは先に述べた通りだ。
そうした中で今回のテーマはサッカー審判であるが、審判もシンガポール人や豪州人の国際的な試合を裁ける審判やなでしこの女性審判、少年サッカーというカテゴリーまで様々な審判の笛を聞いた。
この年の筆者が応援するJ2・ジェフユナイテッド千葉はホーム2試合(名古屋・愛媛)、アウエー3試合(横浜FC・水戸・群馬)を観戦した。
そうした中で、この年はホームの観戦は全勝で、アウエーは全敗だった。
しかし正直なところ、この敗戦の試合を裁いた主審の判定は公正な判断であり、彼らは筆者から見て負け試合でも納得できるだけの仕事をしていた。
それ故に、彼らの判断は尊重するに値するものだったと言える。
前述のなでしこカップ戦でも女性審判だからといって、職務遂行能力が男性のそれよりも劣るということもなく、その試合の彼女達もまた適切なジャッジを果たした。
しかし、筆者に批判する資格はないと言いながら、正直観戦していてジャッジに不満のあった試合も1つだけあった。
それは2017年5月6日の味の素フィールド西が丘で行われたJ3・FC東京U-23vs FC琉球戦を裁いた松澤慶和主審に対してである。
この日の松澤主審は前半11分にイエローカードを提示したが、同18分には同じ選手に2枚目のカードを出して退場させた。
このプレーで筆者は「1枚目はともかく2枚目のイエローカードは、まだ早い時間帯で退場者を出す前に、注意で済ますという判断を挟んでもいいのでは?」と主審の判定に疑問を感じた。
結局この日の試合では退場者2人を含めた合計9枚のイエローカードを松澤主審は FC東京U-23に提示し(FC琉球には2枚)、試合も心も大荒れの中でGWのJリーグ観戦が終わったのを筆者は記憶している。
2017年のサッカー観戦は本来の贔屓チームであるジェフの負け試合でも主審の判定を尊重できたのに、この日のジャッジには貴重なGWの午後を台無しにされて正直気分は悪くなった。
しかしそうした一方で、筆者自身がサッカー審判の勉強が出来ない環境にいる以上、筆者自身が松澤主審の代わりが務まるのか?と言えば務まらないわけだ。
それが現実である以上、こうした試合を受け入れるのもサッカー観戦には必要だ、とも感じた。
おそらく、この日のまだJリーグの主審の資格ではまだ新人の松澤主審はリーグから派遣されて、審判のジャッジの質を判定する審判アセッサーという監督官からある程度注意は受けただろう。
その一方で筆者自身の持論でもあるが「プロスポーツというのは壮大な『育てゲー』である」と考えている。
スポーツにおいてリーグやファンが育てる対象というのは選手や指導者だけでなく、審判もまた「ファンの視線を浴びることによって育つ」要素がある。
審判も人間である以上、ミスをするのはある種の必然でもあるし、だがそのミスを最初から肯定してはいけないのでファンによるブーイングで叱責も時には必要である。
ただ、サッカーにおいて明らかに好ゲームであった時は、賞賛の対象を両チームのイレブンのみならず、審判団にも「ナイスジャッジ」と褒める姿勢も我々サッカーファンは持ち合わせる必要がある。
サッカーで好ゲームの時は、だいたい主審のアドバンテージなどで適切な判断の時が多いからだ。
あるJ2サポは「サッカーの審判というのは水道のようなインフラみたいなモノで、100%完全なサービスを受けて当たり前。少しでもミスがあればバッシングという割の合わない立場である」と言い、
「しかし彼らがいなければサッカーの試合は成り立たない。だから我々ファンは彼らに対するリスペクトの念を忘れてはならない」とあったが、筆者も全く同感である。
サッカーの試合で審判を批判するのはもっともらしく見えて、実は弱者を追いつめる矮小な存在がやる行為だ。
たくさんサッカーの試合を観戦すれば、全ての試合のジャッジを受け入れられるわけではなくなる。
しかし、それでも我々サッカーファンは審判の存在なくして試合ら成立しないわけだから、いつでも審判団に対する敬意を忘れてはいけないのだ。