①では「日本vs中国戦」と銘打ちながら、筆者がこの大会に参戦する理由という個人的な部分にフォーカスしてきたが、②では中国サッカーに対する歴史的な経緯について述べていきたい。
中国サッカーで思い出すのは2002年のW杯日韓大会の中国代表初出場よりも、2004年の中国の現地開催だったアジアカップでの暴挙だった。
中国選手が日本代表に飛び蹴りをする。観客が日本代表に投石するという、あからさまに反日感情をむき出しにする映像で、試合結果よりも日中間の感情悪化の方が問題になった大会だった。このブログの読者でもあの衝撃的な映像を覚えている人も多いだろう。
当時の中国人の愚挙は許される訳ではないが、この行動にウラがあったという事実は、意外と知られていない。
日本代表がこの時試合をしたのは中国内陸部の大都市である重慶という街であった。
日本人が中国国内で反日感情が強いイメージを持つという街は南京大虐殺の南京だろうが、この時の試合会場だった重慶も、南京と同じくらいの反日感情の強い街であることは日本人には知られていない。
重慶という街は第二次世界大戦(日中戦争)の時に、国民党のトップである蒋介石がこの街に臨時政府を置き、対日戦争の軍事的拠点にした経緯がある。
そうした重慶という街に当時の日本軍は1938年から1943年の5年間に200回以上の空爆をし続けてきた(これを中国の歴史では「霧都爆撃」と呼ぶ)。
重慶という街には日本に対して、そうした街を侵略された経緯があって、そのため強烈な反日感情がある街になった。
そんな重慶という街の歴史的な経緯を知らないAFC(アジアフットボール連盟)が、サッカー日本代表の試合を開催して、前述のような中国人の飛び蹴りや投石になった、という話である。
在日コリアンの政治学者である姜尚中は「歴史を知ることは現代人にとってのマナーである」と言ったが、日中韓の東アジア情勢もそれぞれの国が自国の経済情勢の悪化を隣国に責任転嫁して溜飲を下げるのではなく、外国人の行動のウラにある歴史的背景や宗教的な価値観を考慮する必要がある。
そんな重慶の街が日本軍に爆撃されてから74年、そしてその重慶の中国人がサッカー日本代表に投石してから13年の月日が経つ。
今回のブログは本来のテーマの趣旨ではないが、歴史という過去を振り返るのは現代人のマナーである一方で、今回東京に集結した東アジアのサッカー人にとって重要なのは、自分たちの愛する競技を通じて未来を築くことである。
日本が今までの歴史的経緯から変われたように中国もまた変わりつつある。そうした背景も含めて、③では日本代表vs中国代表の試合内容にフォーカスしていきたい。