①では名作テニス漫画のワンシーンの中から、筆者のスポーツビジネスという領域に踏み込んでいく上での、自分としての落とし所を考えていこうと思う。

①ではテニスの話をしたが、先日読んだプロバスケリーグ・Bリーグの中でリーグ随一の集客力を誇る強豪クラブ・千葉ジェッツの島田慎二社長が自身の主戦場であるバスケット界においての「組織vs個」という中で彼自身の持論を述べた。

島田社長はご自身の本で「サッカーでも『南米の個人技』vs『ヨーロッパの組織力』という図式で日本は見たがるが、この指摘は正しくない」と述べた上で、「ヨーロッパのサッカー選手も個人技の水準も高いレベルを持っていて、そうした中での組織力の発揮というスタイルを構築している」と述べて、

「いくら組織のシステムがあっても個が高い能力がないと、その組織は烏合の集だ」と語った。

①のテニスと②のバスケでは、根本的な競技方法が違う。もちろんそれは競技の優劣ではなく、個性の違いである。テニスの場合、団体戦を抜かせば、複数の選手での連携はダブルスだけであるが、バスケの場合はコート上で5人の選手の無数のパターンからの連動性が求められる。

ただ、どちらの競技も組織の戦力の中でチームの勝利のために献身的な(サッカーでいう「汗かき役」)という努力を土台にしてチームや選手は勝利の美酒を味わうことができる。

ただ、ここからは筆者自身の持論だが、組織より個の能力を高めていく上で、高みを目指すに必要な素養も出てくる。

それは「組織を形成する中で、個と個の連動性を最大限に高めるための『コミュニケーション能力』」である。

個人個人がチームになって闘う団体戦にしても、コート上で複数の選手が一斉にプレーする競技にしても、いかに個の能力が単体で高くても、好き勝手にやっているだけの集団というのは、それこそ烏合の集に成り下がる。

そのためにスポーツをする集団が1つあれば、まず個の能力を高める努力を進め続けたのちに、一方でそうしたそれぞれの個の存在をくっつける接着剤のようなコミュニケーション手段の在り方というのが、そのチームの低迷か成長かの分水嶺になる。

今回は個人がスポーツの世界に飛び込んだ時に個の能力と高いレベルの組織力の両方をレベルアップに必要な(ある意味で理想的な)プロセスというのを紹介した。

ただこれは言うは易し、行うは難しである。しかし、世界のスポーツマンは勝利という称号を手に入れるために、この難題に向き合っている。