このブログを執筆しているのは2017年10月28日で、この2日前にはプロ野球のドラフト会議があった。
このブログがネット上にオープンにされてる頃には、プロ野球の世界もこうしたドラフト会議というネタもとっくに消費された後だろう。
そのため、このブログを見てくれている読者からすれば「何を今更な話題を。ʅ(◞‿◟)ʃ」と思われるだろうが、今回のブログ記事は単にドラフト会議という狭い枠での話だけではなく、野球界全体の危機として捉えて貰えれば幸いである(もっとドラフト会議にフォーカスしたテーマにするなら、記事そのものを繰り上げて、時事ネタとしてリアルタイムで発表したが)。
この年のドラフト会議の前後で、仲の良い職場の西武ファンの人と話をしていて、彼は「今年のドラフトは早実の清宮幸太郎は注目されているけど、全体としては不作だ」と言っていた。
自分自身、この年はスポーツビジネスの発見になればと、首都圏の5球団のホームゲームを観戦したし、東京ドームでのWBCの中国戦も観戦したくらいだから、野球そのものは好きか嫌いかの単純な二元論で言えば好きである。
しかしその一方で野球がなくなっても、サッカーや他のコンテンツも楽しむ方だし、仮にプロ野球という娯楽が消滅になっても、自分のプライベートに強烈な虚無感が来ることも想像できないのも事実。
ただ、この時の西武ファンの人の話ではないが、実はこの年のドラフト会議の不作というのは同じ季節に訪れる秋刀魚が不作であるのと同様に、この1年の限定的でピンポイントな現象ではなく、もっと根源的な魚で言う水産資源の枯渇なような「野球選手という資源という枯渇」に近い現象にも見えてきた。
秋に秋刀魚が不作になって高くなり困るのと同様に、ドラフト会議が不作でプロ野球界が人気低迷でも社会全体が困るのも考えモノである。
ではこれから野球選手という資源の枯渇する3つの理由は何なのか?を②で述べていきたい。