①ではサッカーの東京都2部リーグを舞台にした小さいながらもアツい闘いの歴史について述べた訳だが、②でもそうした部分について述べたい。
一昨年(2016年)関東1部リーグ(J5)にそれまで同リーグに所属していた東京23FCに加えて、新たに東京ユナイテッド(東京U)が昇格してきた。
筆者はこれを勝手に灼熱の関東1部と呼んでいたが、この23FCと東京Uの闘いは「新東京ダービー」と銘打たれ、地域リーグサポに注目される闘いとなった。
4月の大井第二球技場での東京Uホームの新東京ダービーは23FCが先制するも、元日本代表DF(代表キャップ8)で鹿島アントラーズの主将だった岩政大樹の繊細かつ巧みなラインコントロールで23FCの攻撃陣を遮断。
これに東京Uの攻撃陣が奮起し、2ゴールを決めて、初戦は東京Uの逆転勝利。
7月の23FCのホーム・江戸川陸上競技場での試合は互いに攻撃的な布陣でノーガードの打ち合いの末に2-2のドロー。
その後、両チーム関東1部の優勝を逃し(1位はVONDS市原)、来年も新東京ダービーは継続することになった。
こうした一連の流れもそうだが、1つ気になったことがある。
東京Uは元々東京大学と慶応大学のそれぞれのサッカー部OBが合同で設立したクラブである。
そこでの学閥もあってか、東京Uはホームの小石川運動場のある文京区にすんなりと本拠地と認定してもらった。
すると文京区長が「東京23FCを東京『22』FCに変えてもらいたい」と発言した。
要は23FCが東京23区内をホームにしたいのだろうが、文京区にその意思はないという挑発である。
最初、この話を聞いて「嫌なカンジ〜」と筆者は思ったが、しかし思い直して見るとこの挑発なら「アリ」とも思った。
挑発が行き過ぎて女性や子供を遠ざけるような暴力行為に発展したら論外である。
こうした一種のジャブのようなトークというのはサッカーを盛り上げるためには、ある意味必要なことでもあるとも思えた。
こんな一連の流れが今回のブログタイトルにある「チームの歴史」に繋がっていくのである。
今回は東京都2部リーグや関東1部リーグといったささやかな規模の街クラブ同士でも、チームの歴史は存在して、それらの歴史は尊重されるに値する価値のある話だったということである。
今回紹介したクラブ以外にも、日本全国の街クラブに歴史がある。読者の皆さんも自分の地元クラブの歴史を調べてみてはいかがでしょうか?