①ではプロバスケの世界から今のプロスポーツの世界というのが、1シーズン毎に面子が変わり、その都度チームが生まれ変わるという流動的な環境の中である。
そうした移りゆく世界で絆を再確認するような時代になったというが②でもそのことについて補足説明していきたい。
①でプロバスケの話をしたが、同じプロスポーツで野球の独立リーグでこんな話がある。
独立リーグ・四国アイランドリーグplusのチャンピオンである愛媛マンダリンパイレーツが独立リーグ王者を懸けて、群馬ダイヤモンドペガサスの待つ前橋市へと向かった。
愛媛は序盤優位に進めるも、終盤に群馬の強力打線に捕まり、最終的に日本一の座を逸した。
今回のテーマはその試合後。敗戦の後、愛媛の選手はバスで12時間掛けて群馬から本拠地の松山市まで戻ろうとした。
その帰りの車中で行きにはいなかった存在がいた。
愛媛の監督(当時)・弓岡敬二郎だった。監督というのは基本的にバス移動ではなく飛行機での移動が許されていた。
しかし、弓岡監督は「面倒だから」と年配ながら12時間のバス移動を選んだ。
選手は悟った。監督が面倒だといったのは嘘で、今のマンダリンパイレーツというチームが一緒にいられるのは、この帰りのバスが最後になるから、その別れを惜しんでいるんだ、と…。
①で述べた島根スサノオマジックの球団社長夫人の試合終了後の号泣と弓岡監督の12時間のバス移動というのはどこか共通したモノを感じる。
プロスポーツチームというのは野球であれバスケであれ、結果を出すことのための集団である。
そしてその結果を出すために毎年チームは生まれ変わり、そのたびにフロントは非情な選択も迫られる。
しかし、フロントとはいえプロスポーツチームの職員という前に1人の人間である。感情が入らない訳がない。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい」というのは夏目漱石の小説「草枕」の言葉だ。
この言葉のように情に流されてはフロントはプロスポーツの激流に淘汰されてしまう。だからこそフロントはタフでないと務まらない。
以前、サッカー漫画・GLANT KILLINGで主人公のチームETUからサイドバックの石浜が甲府に移籍する時に、クラブの番記者が残した言葉がある。
「ひょっとしてプロサッカーの世界は、深く通じ合えた仲間との別れを、常に覚悟しなければならない世界かもしれない」
これはサッカーに限らず、どのプロスポーツでも同じだ。
プロスポーツチームの人間との繋がりというのは基本的に1年間限定の世界である。
しかし、たった1年間限定という短い間でありながらも、その絆というのは期間限定であるからこそ濃密で強い繋がりなのだ。