①では日本テニス界の現人神のような錦織圭が世界四大大会優勝のチャンスを逸したのは、その素直で真面目な性格がサッカーでいうマリーシア(試合を有利に進めるためのズル賢さ)が足りなかったが故のことでは分析した。
この話を聞いて思い出したボクシング界の元・拳士の存在がいた。それを紹介したい。
それはトミーズ雅である。「あのお笑い芸人の?」と思うかもしれないが、彼は元々スーパーウエルター級(鷹村守の階級)の元日本ランカーであり、日本タイトル挑戦経験もある拳士(ボクサー)だった。
その雅がお笑い芸人になる前は拳士だった訳だが、拳士にとっての最終目標であるタイトルマッチが決まった時に、雅の祖母が彼のために特製スープを作ってくれた。
雅は「ばあちゃん。ありがとう。このスープは精がつくわ」と一通り食べてからまた練習に行った。
しかし、察しのいい人なら分かると思うが、拳士には減量という仕事がある。
本来ならそうしたスープを食べるのはタイトルマッチを控えた拳士なら言語道断でもある。雅はスープを飲んだことによって必要以上の減量(身体の負荷)を掛けてしまった。
結果的に雅は日本タイトルに挑戦するも敗れてしまい、拳士としてはノンタイトルのまま引退した。
引退後に、雅は兄にこんなことを言われた。
「雅。おまえは試合前にあのスープを飲んだ。その行動ははっきり言って勝負師としては失格だったし、だからタイトルマッチでも負けた」
「しかし、あのスープを飲むという優しさは人間の本質としては必要なことで、それは第2の人生で活きることだ」と言った。
事実、トミーズ雅は第2の人生で下手な元世界王者よりもよっぽど有名なお笑い芸人にまで成長した。
話を①に戻ってテニスの錦織圭である。錦織の場合、狭いボクシングの日本タイトルマッチなんかではなく、世界中の人が注目するテニスの四大大会優勝がかかってる広い世界の話だ。
そうしたタイトルの制覇には錦織個人のみならず日本テニス界の悲願も掛かっている。
そうした中で個人的には錦織に必要なのは、ジキルとハイドではないが人間としての本質的な優しさと、勝負師としての狂暴さの二律背反のような部分を両方併せ持つことである。
SとMと言うと変だが、先のトミーズ雅が世界戦のセコンドについた2000年代のボクシング界の絶対王者だった長谷川穂積を思い出す。
彼はリング上では超絶的なカウンターテクニックで、世界中の猛者に対して瞬殺でボコボコにしてしまう「S」な部分があった。
しかしそんな王者も、家に帰ると気の強い嫁から「おまえ(長谷川穂積)はマザコンだ」と逆に夫婦喧嘩ではボコボコにされる「M」な部分を併せ持っていた。
錦織にわざわざ無理に恐妻家になれとは言わないが、要はテニスのコート上とコート外の性格に二面性を持って、それを使い分けろという話である。
素直で真面目な性格というのが、世界四大大会優勝の足枷になるならメンタリティを変える必要が錦織にはあるはずである。