①では卑近な例から筆者自身が首都圏の5球団の中で一番最後に訪れた球場がZOZOタウンという地元の球場だったことと、それが偶然や皮肉ではなく必然だったという話をした。②ではその理由を述べたい。

千葉県民(ある意味では千葉「都民」)なら分かると思うが、千葉をベッドタウンとして東京で働く社会人というのは、大まかに3つのエリアに分かれてる。

それが、松戸・柏方面への「常磐線」エリア。次に船橋・千葉(市)から成田空港や内房&外房に繋がる「総武線」エリア。そして浦安から海浜幕張(厳密には幕張市という自治体は存在せず、幕張という地域は千葉市の一部)を経由して千葉市蘇我が終着駅となる「京葉線」エリア。

他にも私鉄はあるが、乱暴な物言いかもしれないが千葉都民の文化はこの3つに集約される。

そうした中で沿線文化が違うと、まるで県すら違う感覚すら覚え、用がなければまず行く理由もない。

そのため会社の同僚に「柏レイソルについて教えて」と言われても、総武線沿線に実家のあった筆者には行ったことがないとしか答えられず、①で述べたZOZOタウンも中学生から千葉市と縁があったのに、初観戦は不惑目前だった。

これはその家庭環境にもよるが、松戸市や柏市の住民も、千葉市と常磐線沿線で東京都内にある金町や北千住のどちらにシンパシーを感じるかといえば、行政区画が違っても同じ沿線の後者の方が多い気がする。

逆に前述の同僚が埼玉県民だったので浦和レッズについて尋ねたら、自分は西武池袋線の住民だから縁がほとんどないと言われ、びっくりしたのを覚えている。

そのため、その同僚は西武ライオンズのホームゲームは足繁く通うと言っていたが、人がプロスポーツに興味が湧き価値を見出すのは、競技の本質もさることながら、実は「会場にアクセスしやすい環境」という要素の方が大きいのかもしれない。

今回はファンがプロスポーツというモノに関わる土壌について述べた訳だが、ある意味では暴論に聞こえるかもしれないが、意外とこの理論は的を射ているように思っているのだが、読者の皆さんはいかがお考えでしょうか?