筆者も今の会社に勤めるようになって、はや1年半(2017年8月13日執筆)になる。いいことばかりでもなかったが、とりあえずよく続いたと思っている。

しかしよく「社会に出て働くと自由を獲得できる」という言葉があるが、正直自由を得られたとは全く思っていない。会社が自分に理解してくれるのは感謝しているが、むしろ会社以外の家族や他の人間関係のしがらみもあって、社会に出て自由を獲得できたと感じることはほとんどない。

ではこのブログを読んでいるまだ社会に出て働いていない若者が「社会に出て働くことに意味はないのか?」と思うかもしれないが、社会に出て働くことには意味は大いにある。

では、その社会に出て働く意味とは何なのか?という話だ。

それは社会に出て働くことにより個人が社会性を獲得する、ということだ。

社会に出て、社会性を獲得するということとはどういうことか?といえば、社会に出るということは「自分の価値観が社会では少数派」だということを実感したり、「自分個人の特殊な悩みだと思っていたのが、実はむしろ周囲のみんなも似たような悩みを持っている」といった自分の価値観や悩みというのが、自分のコミュニティを通じて、普通か異端か判断できる、ということでもある。

社会に出る前というのは、家族という閉ざされた狭いコミュニティが唯一絶対的な価値観となるが、社会性を身につけることにより、複数のコミュニティの価値観を自分の感覚にすり合わせることにより「両親の考えというのは自分たちは絶対と思っているようだが、実は彼らの考えは少数派だ」と分かったり、その逆もまた然りだったりするのだ。

そうした社会に出て働くことの意味に「社会性を身につける」ということがあるが、その社会性を獲得するためのツールとしてスポーツというのが存在する。〈②に続く〉