①ではNCAAという存在とアメリカの大学生がどういう環境で競技者生活を送っているか?という話をしたが、②では翻ってそうした組織が日本にも可能なのか?という部分に言及していきたい。
正直言って今の日本の大学にNCAAという組織が馴染むイメージというのが、筆者には湧いてこない。
最近の日本の大学生も授業は真面目に出席しているというが、今の日本の大学生を取り巻く環境に日本型NCAAが定着するように思えない。
筆者が都内の某スポーツバカ大学の学生の頃、入学して最初のオリエンテーションで英語のクラスが同じだった格闘技系の体育会生徒が2人いた。
2人共、一目で格闘技をやっている体型だったので、筆者とは競技は違うが同じ格闘技を志す者として、学生生活の中で今後色々仲良くしていきたいと考えていた。
しかし、その2人は最初のオリエンテーションのあと、一度も授業に出席しなかった。ちなみに筆者はほとんど出席していた。
筆者の大学というのは規模もそこそこ大きな大学だったが故に、ゼミの教授も「学部や組織が変われば、大学名は同じでも別の大学」と言っていた。
それ故、筆者の大学で一般の生徒は一般入試の生徒と体育会の生徒には深い溝があり、誰も体育会の大会には応援など行かなかった。
筆者の大学の空中分解ぶりはJリーグ発足当初に、地元住民に何らファンサービスをせずリーグでは当時トップクラスの成績だったのに、地元等々力競技場では閑古鳥が鳴いていたヴェルディ川崎を思い出す。
そして今のヴェルディを見れば、そうした権威的な振る舞いをしたスポーツチームの低迷と同様に、権威に阿り(おもねり)ロクに学業に向き合わない体育会大学生も推して知るべしである。
そして日本型NCAAである。一般の大学生の授業出席率は向上したというが、過去のやり方から脱皮できない古い組織が多い伝統的な体育会系が、授業と競技者生活の両輪を巧みに回せるのか?は疑問だ。
何しろ大学の指導者でさえ、授業をロクに出席しない人間がほとんどだったから。
今、スポーツの収益率を高めるために大学スポーツも日本型NCAAと言われているが、スポーツに限らず組織というのは単に制度を整えればいいだけではなく、中で動く人間の問題なのである。
今まで大学という権威に胡座をかき、そうしたことを怠ってきた大学体育会系にそれができるかは疑問である。