今回のブログでは過去のW杯という観点から本当のスポーツ文化の熟成には何が必要なのか?というモノを問いたい。

冒頭のタイトルにある3つのW杯を紹介したが、最初に2002年のサッカー日韓W杯について述べていきたい。

JFA(日本サッカー協会)を中心とした日本サッカー界の悲願としてサッカーW杯の単独開催での招致を韓国と争い、それが日本と韓国という枠組みのみならずFIFAの権力闘争まで巻き込んだ闘いになったが、結果は周知の通り、共催という名の痛み分けで落ち着いた。

その後、日本サッカー界はW杯という名の一大ムーブメントが押し寄せたて、W杯を機に日本中でサッカースタジアムが建築された。

しかし大会終了後、その時生まれたサッカーの熱狂はどうなったのか?サッカースタジアムは今どうしているのか?という話だ。

一過性のブームに過ぎなかったサッカーW杯以降、W杯以降に起こったニワカ・サッカーファンがJリーグ観戦に流れたという訳でもなく(いたとしても少数)、W杯で建築されたサッカースタジアムは僻地にあったり(静岡や仙台)、陸上競技場と兼用で観戦に適さなかったり(横浜など)、試合の質の生命線である芝の管理が全くできない劣悪なスタジアムだったり(大分)、日本中に使いものにならない失敗作のサッカースタジアムが乱立し、地元のJリーグでロクに集客もできず、200億円前後のスタジアム建築費用は地元自治体に押しつけられた。

こうした現状を鑑みて、W杯とは本当に意味があったのか?という話だ。②ではなでしことラグビーなどからもこうした問題を捉えていきたい。