①では2020年の東京五輪以降のスポーツビジネスの在り方として、大都市圏のメガイベントのような大動脈をメインとしたビジネスモデルよりも、毛細血管のような地域と言った小規模エリアでのスポーツチームのイベントを日本全国に活性化させる方が、スポーツビジネスそのものを活発にさせるには重要である、という話をした。②ではそうしたことについて突き詰めて考えていきたい。
2000年代以降の日本のマクロ経済で考えれば、規制緩和によって好景気になったと言われる。
しかし、それは周知の通り大店法の撤廃により、ショッピングモールの巨大化が認められて、中小規模の個人経営でやっていた商店が軒並み破綻し、地域経済に落とされるべきマネーが全部首都圏の大手小売業の幹部に回って、地域経済そのものはむしろ劣化していった。
それは身体の循環器系で言えば、心臓や大動脈などの中枢部だけ強化しているようなもので、末端の毛細血管に血液を循環させないで、日本経済という身体は全身が重度の血行障害に陥ったようなものだ(よく金利は経済の体温というが、これだけ0金利が続いているのは日本経済のマネー〈血液〉が末端にまで行っていないと証明しているようなものであり、日本経済が低体温症になっているのだ)。
翻って日本のスポーツビジネスである。今の日本で議論されているスポーツビジネスというのは東京五輪自体がその象徴でもあるが、日本の政治家や官僚が昔のバブル成金みたいに「デカいスポーツイベントをもう一回やってひと山当てれば、日本経済も一発逆転を目論むことができる」と言って、巨大建造物を作ろうとしている。日本を主導している自民党のニューディール政策をスポーツイベントに乗っかってやろうとしているに過ぎない。この手法も前述の小売業の規制緩和による大都市圏の肥大化をなぞるだけである。
そもそもニューディール政策の本家であるアメリカのそれも、1929年の世界大恐慌で当時のアメリカ政府が国内の失業率を低下させるために、国が短期的な借金を受け入れても大規模な公共工事を増やそうとしたのが始まりで、その政策は発案されて100年近く経っているいわば時代遅れの手法だ。
ましてや日韓W杯で作られた建設費200億円の観客を呼べないスタジアムが日本中に存在する上に、1000兆円の借金がある現在の日本に五輪型のスポーツビジネスがどこまで必要なのか?という話だ。
近年、日本社会では地域で獲れた魚介類や農産物を大都市圏に回すより、地域で消費して地域でモノやカネを循環させる「地産地消」という概念が活発になっているが、スポーツビジネスも同様である。
もちろんスポーツビジネスの場合はどうしても構造上、中央の大都市圏の存在は無視できない。だが、ヤンキースのマー君こと田中将大のように兵庫県のボーイズリーグ→北海道の駒大苫小牧→宮城県の楽天イーグルス→ニューヨーク・ヤンキースみたく東京を経由しない手法も可能である。
地産地消のスポーツビジネスに対する具体的な方策としては、野球の場合は独立リーグの球団数拡張やNPBとの交流の活発化、サッカーの場合はJ2・J3・JFL(アマチュアサッカーの全国リーグ)のブランディングなどやるべき課題は多々あるが、それはまた別の機会で。
スポーツビジネスというのもこれからは脱中央の地産地消も段階的に導入して、日本の地方都市という「毛細血管」にも血液(マネー)を流す取り組みが2020年以降は必要になってくるのである。