①ではスポーツで勝つ為に3つの「間」の中で「(時)間」が壁になる、という説明をした。②ではそれ以降の補足をしていきたい。

別に実力が拮抗すれば紙一重の勝負になるのは他の競技でも同じだが、例えを分かり易くする為にまたも野球を例に出す。

野球の試合では1-0か10-9のどちらかの哲学を選ぶ必要がある。練習時「間」がネックになるからだ。では残りの2つは何だ?

野球という競技は戦況によって守備の陣形を微妙に調整する。

1回表で無死満塁のピンチなら1点取られてもいいからゲッツー狙いの守備とか、以前に観戦したWBCで打者筒香の時に中国のショートが二塁ベース寄りに守り、痛烈なセンター返しをショートゴロに変えたとか、練習を費やし洗練されたチームほど、当たり前のようにシチュエーションによって守備陣形を微調整する。

ここでの守備陣形の微調整。それが2つ目の「間」。それが「空間」である。

その最適な「空間」を手に入れる為に、どれだけ「時間」を費やすか?

そこで必要なのが、3つ目の「間」。「手間(練習)」。

限られた「時間」の中で、最適な「空間」を手に入れる為に、最も効率のいい「手間(練習方法)」を導き出す。それが今回のタイトルにある3つの「間」だ。

別にスコアが青天井になる競技に限らず何のスポーツでも同じなのだが、説明し易いように今回はこうやって説明した。

しかし、これはスポーツのみならずむしろ一般の仕事の方にも言えることだ。

部活の場合だと勉強が第一になる為に練習を効率化することも可能だが、仕事の場合、何故か(労働者の)時間も手間も無限に遣うことが許される風潮にある。

しかし、平成すらも2019年には終わる現代で、共働きや介護離職も増えるであろう新しい年号に突入しつつある時代に、そんな介護や子育ても限られた時間でしないといけない労働者に、仕事に時間や手間を無限に費やしなさい、という昭和な企業は早晩、淘汰されるだろう。

時間というのはタダで無限だと思う錯覚を感じるモノがあり、それがエンドレス残業に繋がるのだが「メメントモリ(死を忘れるな)」というラテン語の言葉のように時間は有限である。

またコンビニやスーパーマーケットのように、店内の空間が有限な店舗経営では、売れない商品はガムのスペース1つでも3日も余計に置かないという厳しいビジネスとも言われる。

当然のことながら、時間や空間と同様に手間もまた有限だ。

今回は少し哲学的な意味も踏まえて3つの「間」という言葉の意味を説明してきた。当たり前に手に入る時間や何も考えないでテキトーに空間があると思うと、将来イタイ目に遭うだろう。