①では日本の2つのボクシング漫画が及ぼす、漫画の真似事と医学的知識の欠如からくる無理な減量を嘆くような話をしたが、②では海外のボクサーについて言及したい。

筆者がボクシングの減量で思い浮かぶのはフィリピン人ボクサーだ。

もちろんフィリピン人ボクサーも試合前には減量をする。以前読んだフィリピン人ボクサーの書籍で、1ヶ月後に試合が決まったボクサーが、試合が決まったことを喜びながらジムメイトに告げた後に「修道院のような生活のスタートだ」と過酷な減量に入ったシーンも覚えている。

しかし、後楽園ホールでフィリピン人ボクサーを見ると日本人選手は「ひょろ長い」身体をしていて陸上部で言うなら「マラソンランナー」の体型に対して、フィリピン人のそれは「がっちり」した格闘家の身体で、陸上で例えると先日引退表明をしたジャマイカのウサイン・ボルトのような筋肉隆々な「100m走」の選手の身体である。

日本のボクサーで身長168cmくらいなら、まずバンタム級(53.5キロ)までの減量を強要するが、フィリピンには当然あしたのジョーやはじめの一歩のような無茶な減量にカタルシスを得ているような漫画は存在しない。

そのため、前述のような体型のボクサーがフィリピン人だと(骨格にもよるが)無理な減量をしないでライト級(61.23キロ)で勝負するというのも普通だ。

日本のボクシング界の常識なら、そんな体格のフィリピン人ボクサーなど鼻で笑われてしまうのだが、そんなフィリピン人ボクサーが日本人世界ランカーに勝ってしまうことも多々ある。まさに「(小さいフィリピン人ボクサーから見ると)GIANT  KILLING」の世界である。

ボクサーにとって減量というのは、サラリーマンにとっての出社するための満員電車のようなモノで、やらずに済むならやりたくないけど、現実問題としてしなくちゃいけないモノである。

しかし、日本のボクシング界の減量神話というのはしなくていい遠回りのルートで睡眠時間を削って通勤して自己満足しているようなモノだ。

近場で最短ルートを使えれば、それを使えばいいだけの話だ。

今回は日本のボクシング界における誤った減量神話の弊害について述べたが、女の子のダイエットも体重を落としても、肌ガサガサ&枝毛だらけで栄養不足の女に全く魅力がないのと同じで、体重を過度に落としただけで自己満足に走り、結果的に試合でスタミナ切れを起こして、負けているボクサーとトレーナーは、自分たちの過度な減量が本末転倒だということを理解しなければならない。

ボクサーにとっての目的は勝ち名乗りを受けることであって、減量というのはそのための手段に過ぎない。「手段の目的化」には何の価値もないのだ。