①では仕事における致命的な挫折が日本人では自殺になる一方で、海外ではV字回復のスタートとなるという違いを紹介した。
そうした中で今回は敗者復活戦のある社会をスポーツに例えていきたい。
敗者復活戦のある社会で筆者が思い浮かぶのは、サッカー王国ブラジルの監督業である。
ブラジルは選手を獲ってくる場所であって、監督業を学ぶところではない、と言ったのはミスター読売こと与那城ジョージの言葉であるが、確かにここ何年かのブラジル人監督は不作は続いている。しかし、ブラジルのサッカー界には長所もある。
よくブラジルのサッカー監督は「3連敗したら監督をクビになる」という話が有名だが、海外の雇用環境というのは、失敗に対する見切りが極端に早い(大分トリニータのブラジル人監督・シャムスカは2009年に14連敗して「この先、絶対にできない経験」と言っていたが、その理由が上記の例え話)。
しかし、ブラジル社会には良いところもあり、こうした負けの混んだ監督があっさりクビになっても、ブラジル全土に散らばる無数のサッカークラブのどこかに(条件は落ちるだろうが)、再就職のチャンスも容易に得られる。
しかし、日本のJリーグで下部リーグへの降格をさせてしまった監督を再び雇うということは、地元メディアやサポーターからの強烈な拒否反応を買うことに繋がる(先日浦和レッズとの契約も解除されたが、ミハイロ・ペトロヴィッチがサンフレッチェ広島時代、J2降格後も監督続行させたが、当時のフロントはかなりレアなケースだ)。
日本の場合、失敗に対する敗者復活戦が少な過ぎてセーフティネットが存在せず、スポーツでも一般社会の仕事でも失敗しないように消極的なメンタルこそ最善な選択肢となった。要は日本人が失敗に対して狭量すぎるのだ。
しかし、これでは自殺もなくならないし(サッカー監督が降格を理由に自殺することはないだろうが)、そんな消極的な判断ばかりを迫られる今の日本社会に閉塞感が満ち溢れるのは、ある意味当然だ。
①で述べたジョブズも、もし日本型の価値観だったらアップルを解雇された時点で自殺しているし、もしそうなっていたら、今の高品質なアップル製品は存在していなかったことになる。
日本社会もどんな仕事であれ、失敗に対してネガティヴに捉えるのではなく、成功に対する学びの機会を得たと、ポジティブに捉えるような社会にならないと、自殺者は減らないし、スポーツの世界も子供たちが夢を託さない退屈な世界に成り下がってしまう。
今回のテーマは自分でも極論に感じる部分もあるが、将来の日本社会のためにも、このブログを読んでくれた皆さんに1人1人考えてもらえれば幸いである。