今更ながらであるが筆者はスポーツのブログを書いている。そうした中でボクシングやサッカーと言った好きなスポーツだけでなく、自分の知らなかった世界のスポーツも見て「独眼鉄って何も知らない素人だなっ」と吐き捨てられてもいいから、知らないスポーツでも頭の悪い素人なりの意見をこのブログで発表してきた。

そんな筆者が4年に一度の野球の祭典であるWBCという大会をスルーしていいはずがない。かくして他の人からすれば、どうでもいいような勝手な使命感を心に秘めて、WBCの持論を執筆したり、東京ドームでの日本vs中国戦は現地の生観戦もした。

そうした中での2017年の第4回WBC。結果は周知の通り、ロサンゼルスでの鬼門・準決勝で、地元アメリカに惜敗。王座奪還の夢は露と消えた。

筆者はそのアメリカ戦は仕事で見られなかったが、東京ドームでの6試合は全て見た。それに関して、今回の侍ジャパンに思うところもある。

正直、このサイトで戦犯探しなど無駄なことをする気はない。出てしまった結果は変えようがないからだ。それよりももっと深いテーマを掘り下げたい。

今回のWBC。筆者が侍ジャパンに求めたいのは「自分たち日本代表の野球とは何なのか?」という哲学的な問いである。

敗退が決まったアメリカ戦。1点ビハインドの8回裏二死一・二塁で打者は筒香。この勝負の分かれ目で、筒香の打球はライトに飛んで、日本の野球ファンの想いを全部込めてスタンドに入るかと思った。

しかし、結果はライトフライで、最初で最後で最大のチャンスを凡退してしまった。

筆者はここで筒香自身が何を求めるべきだったのか?というのをフォーカスしたい。

筒香自身がアメリカ投手陣の心を折るようなイッパツが必要だったのか?それとも次の打者に繋ぐ意識だったのかを。〈②に続く〉