冒頭のタイトルにいきなり英単語が出たが、これはdiscipline(規律)とintelligence(知性)との関係性についてである。今回はそれを説明したい。
このブログを書いているのは2017年3月19日な訳だが、この時野球の侍ジャパンが全勝でアメリカラウンド進出を決めた頃だった。
その中で、中南米野球についての書籍(「中南米野球はなぜ強いのか」中島大輔著・2017年・亜紀書房)を読む機会があり、大会期間中に読了した。
ここで中南米の野球関係者はドミニカ共和国もキューバやベネズエラも皆、異口同音にdiscipline、discipline唱えて、日本球界の規律の良さを絶賛していた。
確かに日本野球の強みというのには規律の厳しさはある。それは確かに野球の国際大会などでその長所が出ているプレーも多い。
しかし一方で、そうした海外の野球関係者の日本のdisciplineの礼賛に違和感を覚えたのも事実だ。
別の本で日本野球に全米で1番精通しているアメリカ人であるロバート・ホワイティングは日本の野球に対して、こんな言葉を残した。
「丸暗記は日本人の最大の長所であると同時に、最大の短所でもある」
この言葉は野球の世界のみならず、日本人の働く様々な世界で共通する特徴だ。
野球の世界はともかく、日本社会が1980年代くらいまでJAPAN as No.1と絶賛されていたのは、こうした物事のシチュエーションに対しての対処法を数多く丸暗記し、それを実際に行動する様なやり方で世界を席巻し、また日本の学校も「教育=丸暗記の量」という考えに疑問を持たなかった。
しかし、1995年に出現したインターネットという存在が、ある意味日本人の勝ちパターンを破壊してしまった。
今更ながらスマホに生身の人間ができる暗記量に太刀打ちできるはずはないのは、読者の皆さんも周知の通りだ。
しかし、文部科学省や学校といった旧来の教育機関は21世紀における教育メソッドが構築できず、旧来の丸暗記教育から脱皮できずにいて、結果的に日本の労働市場とのミスマッチをした大学生を量産し、2000万円の教育費を払っても正規雇用できない若者を拡大再生産してしまった。
そんな旧来の教育では教えることができない、これからの人材に必要な要素とは何か?それが「intelligence(知性)」である。〈②に続く〉