①では現代人の気質の変化に対して、昭和の肉食系な成り上がりに対して、若者全体では草食系に近いサヴァイヴが急激に増えている、という話をした。②でも続きを述べたい。

筆者がやっていたプロボクシングというジャンルは典型的な成り上がり系のヒエラルキーで構成された価値観である。

プロテストに合格してから4回戦→6回戦→8回戦→日本ランカー、と基本的に上昇志向によって構成されたピラミッドが完成されている。

しかし、こうしたヒエラルキーの土台となる構成要素というのは、ボクサーを志す若者の天下を取りたいという飽くなき上昇志向によって構築されたモノだった。

しかし今の時代、ただでさえ少子化で若者の絶対数が不足した上で、その少ない若者の価値観に成り上がりたい上昇志向も消滅してしまった。

そのためボクシングでプロデビューしてもチャンピオンベルトには興味がなく、最下層のカテゴリーで満足して引退するボクサーが主流になった。

同じプロ格闘技の大相撲でも、関取のスタートラインに立つ十両に出世して、本来なら十両「に」雑用をこなす付き人が出来る。

しかし今の時代日本人の相撲希望者も減って、十両「が」付き人をやるという大相撲という競技存続も危ぶまれるほど、競技者人口が減っている、という話もある。

全ての若者が成り上がりという欲望を捨て、無欲の状態でサヴァイヴを目的としている訳でもない。

だがプロスポーツにおける主役となる男性の若者に上昇志向がなくなって、ヒエラルキーの頂点を目指す吸引力が急速に失われているのは、東京五輪後の日本のスポーツ界にとっては、どの競技においても競技存続の危機である。

かく言う筆者にも状況を打開するアイデアがないのもダメなのだが、このまま行くと危険水域に達していくのは確かだ。少なくとも平成すらもうすぐ終わる21世紀に今のスポーツ界は適応出来ていない。

そうした旧来型の統治しか思いつかないスポーツの協会トップに、最後にニーチェの言葉を捧げて締めの言葉とする。

「脱皮出来ない蛇は死ぬ」