①では卑近な自分の失敗例から、視野の狭い価値観が自分自身の首を絞めるという話をしたが、②でも続きを書きたい。

サッカーW杯の南アフリカ大会の頃だったが、某スポーツ新聞のWEBでこんな記事があった。

「今年(当時)はW杯イヤーのため、サッカーの人気が高まる『恐れ』あり」

恐れってなんだよっ!という話である。筆者も子供の頃は少年野球もしたし、WBCの季節になったら侍ジャパンを応援するし(今年は生観戦もした)、週末フクアリでJ2ジェフ戦がない時にプロ野球観戦も洒落こむし、会社の野球ファンの人とも野球談義に花も咲く。

しかし、これだけサッカー主体のファンの自分が野球にもシフトしても、日本のスポーツ新聞の偏狭な野球原理主義は修正できていなかったりする。

おそらく、スポーツ新聞の記者というのが自分たちの誌面の売り上げが右肩下がりで「マスコミ=情報を発信できる絶対的権威」という存在が危うくなり、マスコミ文化の象徴とも言えるコンテンツのプロ野球も、日本人男性の多数派としての娯楽から滑り落ちつつあるから、スポーツ新聞記者はサッカーを目の敵にしているように見えてしまう。

誤解のないように説明したいが、筆者自身は野球という競技もサッカーほど肩入れはしていないが、好きなスポーツである。

しかし、マスコミのようなかつての特権的な権威が自身の優位性を保てなくなり、そのため、新興勢力の象徴とも言えるサッカーを叩いている節がある。

しかし、野球界というのもそんなことをしている場合ではない。スポーツ少年の競技人口としては、野球は既にサッカーはおろかバスケットにすら追い抜かれている。

ヌル野球ファンの筆者としても、未来の野球人口の激減というのは喫緊の課題であるが、だからこそ日本のマスコミには、競技人口の減少を他のスポーツに責任転嫁するのではなく、野球と他の競技との共存共栄を計った記者を書いてもらいたい。

本質的な問題を見誤ったメディアに将来計った限りなく暗い。