①では業界でその素質を高く評価されながら、最終的に無冠に終わった逸材のキャリアについてざっくりと説明したが、②ではその理由を述べたい。
いきなりだが、現代のスポーツ界というのはどんな競技でも戦術(戦い方)のトレンドというのは、ボクシングに限らず行く川の流れのように絶えず変化している。
野球の変化球でもカーブから入ってスライダー全盛期→野茂英雄のフォークといった変遷もあったし、サッカーでもトルシエのフラット3が主流になったと思ったら、それが研究されてしまうと、Jクラブのほとんどが4バックで戦っいた時期もあった。
以前聞いた話だが、卓球でもラケットの持ち方にトレンドがあり、今ではペンを持つような握りのペンホルダーは絶滅危惧種で、卓球選手の99%が握手するような握りのシェイクという握り方になった。
そうした様々なスポーツでトレンドが逐一変わるモノだが、ボクシングも例外ではない。
土居がデビューした1990年代後半の頃のボクシングというのは、フォームに対して前後の身体を体重の乗せ方というのが60-40で前屈みになることが「当時は」主流だった。
しかし、本場アメリカで中量級の絶対王者フロイド・メイウェザーが、その常識を変えてしまった。
メイウェザーのボクシングはサッカーでいうドン引きサッカーのようなモノで、体重を後ろに乗せて「引いて守ってカウンター」というのを基本戦術としていた。
そのため、メイウェザー以後の世界のボクサーは体重の掛け方を50-50か、もしくはそれより体重を後ろの足に乗せるやり方に変化していった。
話は戻って土居である。土居はボクサーとしての素質は一級品だった。
ところが前後の体重の掛け方が、そうした時代のトレンドに抗(あらが)った70-30の超前傾姿勢だった。
そのため土居がタイトルマッチに絡むための重要な試合に、ゴングと同時に相手に突っかかっていき、ファーストコンタクトでパンチではなくバッテイング(頭突き)。その傷で開始30秒で不完全燃焼の負傷引き分けになることも多かった。
土居の最終戦績は引退時に29勝11KO15敗8分と、3つ引き分けがキャリアの中にあれば多いボクサーの中で土居の引き分け(全ての引き分けがそうだとは思わないが)は突出して多かった。
北京五輪の男子柔道100kg超級金メダリストの石井慧はメダル獲得時に「(柔道は)強い者が生き残る競技ではない。賢い者でもない。(激変する世界の柔道のトレンドに)適応する者が生き残るのだ」という言葉を残して、柔道からプロ格闘技に転向していった。しかし土居の場合、溢れるばかりの素質を擁しながら、変化を繰り返す世界のボクシングの環境に適応できずに無冠のまま引退した、というのが残念でならない。
土居伸久というボクサーは元日本ランカーという肩書きで引退するような選手ではなかった。