筆者のブログというのは基本的にスポーツがメインテーマだ。そしてスポーツをやる側の人も見る側の人も、どちかもスポーツで頂点に到達するには「才能」の有無がネックになるということは今更ここで言う必要もないくらい常識だ。
そんなスポーツの世界、やる側として携わった人なら分かるだろうが、一緒に練習していて「モノが違う」といった才能の塊みたいな身体能力を持った存在に遭遇した人もいるだろう。
スポーツで挫折した人は「俺にも才能があれば」と無い物ねだりをした人も多いかもしれない(筆者自身がそうだった)。
しかし、実際にボクシングに20年以上携わったり、他のスポーツも見にいったりして、スポーツにおいて結果を出すために才能が全てを解決するような万能薬ではないということも、不惑目前にして気づいた。今回はスポーツにおいて才能以外に必要な要素について述べていきたい。
今回もまたボクシングから例を出して済まないが、筆者と同じ1978年生まれの引退したプロボクサーに土居(コロニータ)伸久というバンタム級〜フェザー級を主戦場にしていたボクサーがいた。
土居というボクサーのキャリア最高位は日本ランカーだったが、その素質は業界内外で折り紙付きだった。
ボクサーが皆夢見る世界タイトルマッチ。土居の場合、世界戦どころか日本王者にもなれなかったが(日本タイトル挑戦歴はあり)、その世界タイトルマッチに出場する世界王者(もしくはランカー)のスパーリングパートナー(実践練習の相手役)にひっきりなしに請われるような選手だった。
ある世界王者は「土居君は天才だからそんな選手とスパーを沢山できて、内容の濃い練習ができて感謝している」と言い、日本で世界挑戦するために、公開練習で土居とスパーしたある外国人世界ランカーは「なぜドイほどの選手がまだ無名なのか?」と、日本のリングに埋もれた逸材の存在を不思議がった。
そんなボクシングのトップ選手が皆異口同音で絶賛した土居の才能。しかし、土居はその才能をスパーでは開花できたが、野球で言う「ブルペン・エース」ではないが、本番のリングでは淘汰されてしまった。
ではなぜ、土居は溢(あふ)れる才能を持て余し、無冠のまま引退したのか?
それが今回のタイトルにある「環境に適応できなかった」という点にある。
詳しくは②で述べたい。
