冒頭のタイトルはもしかしたら古い年代の人には不満を持たせるかもしれないが、とりあえず聞いてもらいたい。
このブログの古い読者が今どのくらい残っているかは分からないが、筆者の昔のブログというのはスポーツに特化したブログではなく、社会問題に対する提起や漫画論なども発表していた。
一昨年(2015年)の正月頃からスポーツに特化したブログに切り替えたのだが、ここ何年かスポーツのブログばかり書いていて、スポーツを取り巻く環境と実際に日本で起こっている社会問題というのが実はリンクしていて、スポーツの環境を良くするための提言が、実は日本の社会問題に対する病巣を根治させるために必要な解決策にも共通しているのでは?と気付いた。
もちろん世の中にはスポーツに興味のない人も存在していていいし、スポーツ的な考えが世の中に万能だ、なんてことも思っていない。
そして今回は社会問題にリンクするテーマであるが、筆者のブログもこれからもスポーツに対する提起を続けられる限り続けるつもりである。そこも変えるつもりもない。
ただ今回はそうした中で、日本のスポーツと社会問題に共通する課題であるが、日本のスポーツ界に内包するひずみとしてアスリートを苦しめているモノの中に「昭和の価値観」を「21世紀の(平成の)現代における環境」にまで引きずっていることがスポーツの現場に問題を引き起こしているのでは?という考えに行き着いた。
それでは昭和の価値観とは何だという部分にフォーカスしていきたい。ここで言う昭和の価値観というのは、①学校やメディアと言った組織に属する権威や年長者の言葉は絶対に正しいから、若い者はそれに無思考で服従すべきという考え②長時間の練習(労働)は真面目で働き者だという美徳③長い期間で1つのことをずっとやり続ける職人肌のスペシャリストの方が、色んなことをやっては辞めるタイプのゼネラリストより価値が高い④子供を持つ親は自分の持つ収入と時間の95%を学校などの教育機関に親の無償の愛情として捧げて当然であるという考え、と言ったところだ。
今挙げた4つの考えの全てが100%間違っていて価値がないと筆者は考えいる訳ではないし、部分的にはその価値観が今の時代にも残らないと日本の社会が回らなくなることも分かっている。
しかしスポーツの現場もそうなのだが、今挙げた4つの昭和の価値観が、その昭和が終わって(平成という年号になったのも)29年目になる日本社会で生きるアスリートや子供、そしてその親を苦しめているように見えてならない。〈②に続く〉