①ではスポーツの本質が「生き残ること」であって「勝つこと」というのは、そのための手段でしかないことを述べたが、ここから先もスポーツの本質について追求していきたい。

スポーツというモノが「健全なかたちで白黒がはっきりつく」ので、スポーツに関わるステークホルダー(利害関係者)は皆、勝利を求めて己の存在を証明させたがる。

しかしそもそもサッカークラブであれ高校の野球部であれ、勝ち続けるチームがその存在を維持し続けられたのか?という話である。

高校野球で有名なのは大阪で、名門校というのは変わっていないイメージがあるが、実は変遷がある。

戦後のしばらくは浪商(今の大体大浪商)が絶対的なチームであったが、1980〜90年代は桑田・清原のKKに代表されるPL学園の絶対王朝時代。

しかし部内の不祥事からPLも低迷すると、現在は履正社や中田翔の大阪桐蔭が大阪の顔になった。

こうやって、ざっくり見ても移り変わりがあるのが分かる。

逆に言えば、PL学園のように勝利を義務づけられた野球集団でも、今は野球部が休部になって存在していないのを見ると「勝ち残る=生き残る」ではないことが分かる。

サッカークラブでも勝利しか考えない原理主義で、下部リーグなのにチーム運営を維持し続けられないような元日本代表やブラジル人補強で、経営破綻したサッカークラブはいくらでもある。

逆に1990年代にイギリスである意味凄いボクサーがいたが、デビュー7連敗したらコミッションに引退勧告される、死が身近にある競技であるがゆえに敗北に厳しいボクシングで、32勝256敗(!)12分した伝説の噛ませ犬ボクサーがいた。

その選手はどの試合でも負けてばかりだったが、防御技術だけはずば抜けて高く、後に世界王者になるようなボクサーのパンチでもまともにもらうことは皆無で、言葉は悪いがリング内の逃げ足の速さはダントツだった。

そのため、そのボクサーが引退する時は、本来ならスポットライトが当たるはずのない噛ませ犬なのに、引退セレモニーがあったという。リング内で生き残るための逃げ足もここまできたら価値ある芸だ。

今回はスポーツにおける本質というのは生き残るということであって、勝つということはその手段に過ぎないという話をした。

混沌した時代に生きているということは周囲や自分の中での評価が下の下であっても、実は「生きてるだけで丸儲け」なのである。