①では元キック王者がボクシング転向して勝ち上がっていくプロセスを紹介したが、②ではそんな天才に立ちはだかった壁について述べていきたい。
前述の通りキックボクシングの王者からボクシングの新人王にまで全勝で登りつめた土屋修平。ここまで来たらボクシングのタイトルまで最短距離で一直線と考えるのが普通である。
しかし、現実のリングはそうは問屋がおろさなかった。新人王獲得後、土屋はタイトル挑戦の実績を積むためのノンタイトル戦をこなしていたが、経験値の浅い4回戦ボクサーと違い、負けの数が多くても10回戦ボクサーという酸いも甘いも噛み分けたベテランとでは、戦いづらさでは格段に難しくなり、結果としてそれが土屋にとっての壁となった。
そして地元後楽園ホールで名古屋の中堅選手を呼んでのノンタイトルで土屋はボクシングで初黒星を喫した。
そして、その後数戦の土屋の試合は精彩を欠き、ネット上では「土屋は終わった」とまで言われた。
しかし、ここからが土屋の真骨頂であった。海外での世界ランカーへの挑戦(判定負け)含めてタフなマッチメークでボクシングでの経験値を少しずつ積み重ね、自分のボクシングの形ができて、日本ランキングでも少しずつ高い順位に上がってきた。
そして昨年(2016年)12月に前王者が返上した日本ライト級タイトル決定戦に駒を進めKOで対戦相手を撃破し、ボクシングでも新しいベルトを掴むことができた。
正直、他のプロ格闘技からのボクシング転向というのは失敗するケースが後を絶たない。土屋と同門の元キック王者も勝ち負けが五分の凡庸な成績で引退したり、関西のプロレスラーやアメリカでの試合経験もある日本人総合格闘家がボクシング転向したこともあったが、レスラーの方は2戦2敗の噛ませ犬にデビュー戦で負けてあっさり引退したり、総合格闘家も全勝で東洋タイトルに挑戦したもののチャンピオンに返り討ちを食らってあっさり辞めたという事実は今まで見てきた。
要は他のプロ格闘技のチャンピオンはボクシングを舐めていて、プロレスでも総合でも自分は実績あるから、簡単に通用するだろうと勘違いして、初めての挫折でボクシングを辞めた選手が本当に多い。
しかし、土屋は違った。話は飛ぶが以前ラジオでモノマネのコロッケさんが言った「青い熊」という言葉を教えてくれたが、土屋にそれが備わっているように感じた。
「あ」せるな、「お」こるな、「い」ばるな、「く」さるな、(挫折した現実に)「ま」けるな。このカギカッコを繋いだ言葉が「あおいくま(青い熊)」である。
土屋の場合、挫折して遠回りしても挫折した現実に負けることなく腐らすに努力した。
だからこそ、この日本王者のベルト戴冠は尊いのだった。
追記…土屋は防衛戦に敗れその後引退し、2018年1月13日現在沖縄でスポーツエンターテイメントの道を模索しているという。茨の拳闘人生を送った元キック王者に幸あれ!