①ではJ2ファジアーノ岡山の育成組織で二軍にあたるファジアーノ岡山ネクスト(以下ネクスト)とクラブ社長である木村正明氏について述べた訳であるが、今回のネクストの解散というのは決して人ごとではなかった。

それは他ならぬ筆者が応援するJ2ジェフユナイテッド千葉にも、過去同等の二軍チームがあった。

それが冒頭のタイトルにあるジェフリザーブズというチームであった。

ジェフリザーブズのスタートは早く、1995年にジェフリザーブズが発足していたが、その前身のジェフユナイテッド市原・アマチュアサッカーチームとして既に活動していた。2005年にはこの名称でJFL(当時3部リーグ)に参入した。

そして翌年ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズという名称となり、ジェフというクラブの組織内のアマチュアサッカーチームとして活動を続けた。

このチームにはジェフというクラブのトップチームの契約に至らなかった選手の育成の場として活用され、リザーブズの選手は朝9時から夕方5時まではクラブのスポンサー企業で社会人として働いて、夜に選手が集まってサッカーの全体練習をするという形式がとられていた。

ほとんどの選手がアマチュアの立場のまま引退したのだが、リザーブズ出身の選手で成功した選手もいた。

ジェフのトップチームのゴールマウスを長年守り続けた、ユースからの昇格組で数少ないオシム・チルドレンの生き残りであるGK岡本昌弘も一時期リザーブズでプレーしていたし、地元の八千代高校から高卒でジェフに入団して、ガンバに移籍してからは右SBとしてハリルホヂッチ監督の下で日本代表に招集された米倉恒貴もジェフリザーブズで1年プレーし、9時5時の仕事の後にサッカーの練習をする生活を送っていた。

そうした要は未来の日本代表にまで出世するような可能性を持ち合わせたサッカークラブがジェフリザーブズというチームだった。しかしこのジェフリザーブズという組織は2011年をもって解散の憂き目に遭ったのだ。

話は戻ってネクストである。ジェフリザーブズが将来の可能性を秘めたアマチュアサッカークラブを自分の決断で潰したように、ネクストもまた未来の日本代表の可能性があったクラブを「組織のスリム化と経営面の合理化」という無機質なお金の問題で解散させるのも、ジェフというクラブの経験から考えると、ファジアーノの将来を考えた上で「自分たちの未来をドブに捨てた」ようにも感じた。

セカンドチーム(二軍)の運営は試合の入場料としての利益が計算できないので、クラブライセンスの問題(Jクラブは3年連続でクラブの収支が赤字だと下部リーグに強制的に降格される)もあるから断腸の思いだったのはわかるが、経済合理性ばかりを考え目先の赤字の削減ばかり考えるJリーグに「百年構想」を体現できるのか?というのには、筆者の頭上にデカい「?」が出来ている。

人を育てるには、目先の利益以上に大切なモノがある。それを忘れてはいけない。