①では筆者の人生の幼少期を振り返ってスポーツにおけるヲタクの危険性を紹介したが、②では青年期のボクサー時代から見ていきたい。

ボクシングで天下とってやろうと意気込んだモノのボクシングでも筆者の無駄なヲタク気質は抜けてなかった。

フィリピンやインドネシア・韓国のさほど強くないボクサーの名前まで覚えて(努力の方向性が間違っているのだが…)、ヲタクになればボクシングで天下取れると思っていた。

もちろん分析や練習もやれるだけやった、ジムで練習できない日は朝晩7キロずつ計14キロも走った日もある。

しかし、当時のボクサーとしての筆者の練習は練習の効率や生産性が全くなく、無駄が多すぎた。そして、強くなるための知識や情報を得ていなかった。

一方で、トランクスやシューズも安物。自分の出場した試合のパンフレットにも興味ない選手のパンチがアホみたいな破壊力で、そういったボクサーは出世していった。

結局筆者はボクサーとしても当然のように挫折し、自分自身どうしようもないところまで堕ちてしまう。

その後コツコツと人生をやり直す努力をして今に至るわけだが、そんなある日とあるサッカー漫画を読んでいて違和感を感じた。

あるサッカーヲタクが自分の欧州サッカーの知識を周囲にひけらかして女の子に嫌われる、というシーンだった。

こういう嫌な目にあった人がサッカー嫌いになるのでそうしたヲタクは迷惑なのだが、筆者は別のシーンも気になる。

「欧州ではこの中盤のポジションを◯△◇というが…」とのたまうシーンだった。

筆者はこれを読んで「別にポジションの呼び名なんてボランチだろうが、中盤の底だろうが、分かればいいだろ」と言わば「同族嫌悪」になって、その漫画を読むのをやめた。

この漫画は読む人は読んでいるので悪く言いたくはないのだが、①から言ってきたようにスポーツにおいて無駄な知識で武装してヲタクになっても、それで強くなるモノではない。

むしろ1日24時間しかない時間の浪費である。

その人が自分の時間をどう使おうが勝手であるが、スポーツでヲタクになって理論武装するのと、実際に強くなり勝ち上がって出世していくのは別の問題である。

スポーツのヲタはそこを留意しておくべきである。