①では名作スポーツノンフィクションから集団の球技において、選手間のイメージの共有と高いレベルでの連動性が、プレーにおいて勝敗を分ける生命線だという話をした。

そうした中で今の筆者の愛するJ2ジェフ千葉のプレーを見ていると、ジェフの選手達が①で述べた「江夏の21球」のような江夏や水沼のような選手間でのイメージの共有や連動性というのが皆無なように見えてならない。

昨年(2016年)のジェフ千葉のプレーをスタジアムやテレビで多く見かけたのが、パスの出し手と受け手の意思の疎通が全くなされていない、あさっての方向にボールを出してしまうパスミスである。

そして、ここ数年のジェフのストロングポイントであった両サイドがクロスを上げても、クロッサーの意図を読んでゴール前に走りこんでいる選手が1人しかいない、というシーンである(欧州のトップリーグなら同じシーンで5人くらい走りこんでくる)。

このどちらのプレーも選手間でのイメージの共有がなされていないがゆえの悲劇が起こしているプレーに他ならない。

同様のプレーは筆者の観戦歴が今シーズン(2016-2017年)で3シーズン目になったプロバスケットでも散見する。

味方のPG(ポイントガード・サッカーで言うボランチのパスカットでの危機回避という役割とトップ下のゲームメイクの役割の両方を担うポジション)がここでスティールして速攻でチャンスになるシーンでも、他の味方の選手との意思の疎通がうまくいかなくて自滅するように負けるチームも多く見てきた。

野球でもサッカーでもバスケでも(おそらく他の集団球技も)、高いレベルでの試合で勝つために最も重要な要素というのは、選手個々のポテンシャルではなく選手間でのイメージの共有からくる動きの連動性である。

しかし、日本のサッカーやバスケというのは世界で闘うために日々鍛錬の場になる国内リーグで、まだそこまでの連動性が構築できていない。サッカーでのバルサやレアル、バスケのNBAが凄いのは選手個々の高い能力だけが凄いのではなく、それらの沢山の選手が1つの意思を持った細胞のように勝利に突き進む姿である。

残念ながら日本のサッカー(&バスケ)はまだそこまで成熟しているとは言い難い。しかし聳(そび)える山は険しいがそれを克服しないと世界には通用しないのである。