①では昨年(2016年)のプロ野球のドラフトから日本の若者を育成する教育システムからはみ出た人間の中にも優秀な人材は沢山埋もれているのでは?という話をした。②でもその続きを書きたい。
①で紹介した笠井崇正の前にも早稲田大学硬式野球部を退部してプロ野球選手になった人間がいるのか?それがいるのである。
その男の名は大越基(おおこし・もとい)。大越は仙台育英高校時代に甲子園準優勝投手として活躍し、早稲田大学に進学も野球部での先輩から命令された投げ込みをこれ以上すると、投手の命である肩や肘を壊すと拒否。こうした大学野球部の体質に嫌気をさして大越は野球部を退部。大学も中退してしまった。
その後、大越は渡米しアメリカのマイナーリーグ経由で1993年にドラフト1位でダイエー(当時)に入団。99年、00年、03年のリーグ優勝に貢献しつつもその03年に現役を引退した。
なお余談だが、大越は引退後に山口県の東亜大学に編入。教職過程も取得し、同じ山口県の私立早鞆(はやとも)高校の教員になる。野球部監督には2年のプロアマ規定を経て2009年に就任。2012年には同校を春のセンバツ大会に導いた。
話を早稲田大学に戻そう。自分の母校でもない大学を否定するのは恐縮だが、①笠井といい②の大越といい早稲田は若い人材育成のメソッドについて、そのプロセス構築を過去の反省や失敗から再構築させる必要がある。古い人間の習慣を若い世代に丸投げで「これが早稲田の伝統だ」と押しつけて、思考停止になってしまっている。
もちろん早稲田の伝統に価値があるという部分もある。それは理解できる。しかし、これからの大学経営において学内でドロップアウトしてしまう若者をすくい上げる努力も必要になる。
もし大越の時に早稲田が過去の過ちを認めて、それを直す勇気があったなら、笠井崇正は「早稲田大学野球部」出身の選手としてプロ入りしていたはずだ。しかし、彼は球界ではある意味アウトローな立場に身を置きながら、(育成とはいえ)六大学とは比べ物にならないくらいエリートであるプロ野球選手になった。
「過去の失敗から学ばない人間は成長しない」というが、本来なら若者を育てるはずの大学が責任を若者に押しつけ、思考停止に走り過去から何も学ばないのであれば、今の大学は(早稲田に限らず)2000万円のコストに見合う価値のある組織ではないのである。
もちろん筆者も曲がりなりにも日本人のはしくれである。早稲田に優秀な人材がいることも知っている。
しかし、だからこそ早稲田野球部も新しい時代への適応する勇気が必要になる。
長々と自分の母校ではない学校に苦言を呈したが、これもまた早稲田という組織がより進化できるようになるためだからである。ご理解頂きたい。