①では名作SLAM  DUNKから哲学と心中できる監督の魅力について述べた訳だが、②では実在した名将から話を進めたい。

自らの哲学に殉ずるという意味で思い出すのは徳島・池田高校の「阿波の攻めダルマ」こと故・蔦文也監督である。

蔦監督は①の北野監督ではないが「自分はバントは嫌いじゃ。攻めて攻めて攻めまくれ!」とバントをしない超攻撃的野球を標榜にしていて、当時としては先駆的な筋力トレーニングも導入して高校球界にその名を轟かせた。

蔦監督は甲子園春夏連覇を含め優勝3回・準優勝2回を果たしたが、後年筆者が蔦監督の野球に魅力を感じたのは、自分の哲学の上で戦っていたという点にある。

蔦監督は生涯、県立の池田高校から離れず指導者生活を全うしたが「私学に行くと制約が多い」と給料の高い私立の監督を嫌がった。ここら辺は「ビッグクラブは制約が多いから行きたくない」と銀河系軍団レアル・マドリーの誘いを断って、Jリーグのお荷物クラブだったジェフ市原(当時)に来たイビチャ・オシム監督に似ている。

話を戻すが、魅力的な存在感のある名将というのは自分の哲学を持っていて、そうじゃない勝ち方(自分の哲学)で勝っても嬉しくないし、そんな勝ち方での指導を押しつけてくるチームの幹部とはどれだけお金を積まれても一緒に仕事をしたくない、と一本スジが通った考え方ができてる。

もちろんそうした蔦監督の野球でプロ野球のペナントレースで戦えるか?といえばまた話は違ってくる。若い選手の勢いに火がついたら止まらない高校生のトーナメント戦と、143試合の長丁場のプロのリーグ戦では戦い方や求められる能力も当然変わってくる。

しかし、筆者がここで言いたいのは戦うために自分のこだわり(哲学)を持っていて、それに殉ずることができる勇気を持っているか?という点である。

今の時代勝てば何でもいいというプロセスを軽視したつまらないスポーツの試合が増えてきているが、本当に面白い試合の上に勝つチームというのは、ある意味こうした哲学を持った名将のいるチームに思えてならない。