①ではスポーツノンフィクションというジャンルの書籍が大好きであるがゆえに、今の出版界を愛を持って斬り捨てている訳だが、この記事自体が筆者自身の首を自分で締めているのかもしれない。しかし筆者自身、誰かに媚びてまで出版の世界に入りたいとも思わないし、そんな出版社があっても潰れるだろうから興味もない。本音を言って結果、人が離れたらそれはそれだ。

話をスポーツノンフィクションの人材枯渇に移ろう。①でも述べたが、今のスポーツ本に読みたい本が減った。以前読んだビジネス誌のネット記事でアパレル界の記事だったが「今のアパレル界は消費者が迎合してくれ(迎合=媚びる)なんて頼んでないのに、消費者に迎合した服しか作らないから、洋服店に行っても服の種類は増えたがちっともワクワクしない」とあったが、筆者も今の本屋でスポーツ本のコーナーを見て全く同じ感覚を覚える。

このブログの記事の勉強にしようと本屋のスポーツ本コーナーに行っても、サッカー本はバルサ(スペインのFCバルセロナ)と長野県にあるJ2の松本山雅FCの本ばかり。

最初、なんでこんなに山雅の本ばかりあるのか?と不思議だったが、つまるところ山雅には熱狂的なサポーターが多いので、山雅の本を書けば売れるとサッカーライターが読者に迎合しているだけである。

松本山雅の本を出す資格があるのは、地元長野県松本市出身の元川悦子氏や「信州ダービー」を映画関係者に紹介して名作ノンフィクション映画「クラシコ」の橋渡し役をした宇都宮徹壱氏、それプラス地元の新聞社や山雅の番記者くらいだ。

一昨年(2015年)ラグビーで日本代表がW杯で好成績を残すと雨後の筍(たけのこ)のようにエディ・ジョーンズや五郎丸の本が乱立したが、時間が経ったらパタリと止んだ。テニスにしてもジョコビッチや錦織圭の本ばかりでテニス本来の魅力を紹介した本はほとんどない(「テニスプロはつらいよ」は面白かったが)。

結局、今の出版界は読者やスポーツファンに媚びた本ばかり作って自滅しているのである。バルサや錦織の凄さはネットや映像だけで充分だ。読者はみなそう感じている。しかし、出版界はそのトップアスリートとファンの間に入る余地はないのに意味の無い本を作って空回りしている。

読者を上から目線で書いている出版界に未来はない。辛辣な意見だが毎月1万円以上スポーツ書籍に出費する消費者である筆者の偽らざる本音であり、それが現在の情報化社会の真実である。