このスポーツの現金化シリーズももうすぐ1000回の大台に乗りそうだというのに批判めいた記事で申し訳ないがお付き合い願いたい。
冒頭でこんな辛辣(しんらつ)なことを書いたのには、当然理由がある。筆者は出来るだけ特定の競技に偏ったブログにせず、色々なスポーツのことを筆者自身の「素人の目線」というフィルターを通して持論を述べたいと考えていた。
しかし、その下地の勉強としてスポーツノンフィクションを読むのだが、どう見てもこのジャンルに昨今、イマイチ財布の紐(ひも)を緩めてまで買いたい書籍がないのである。
というより、さっきの言葉を使えば面白いというか興味深いフィルターを持っているライターがいない訳ではないが、ライターの人数が多い割には、本当に身銭を切って読みたい本がないのだ。そうした意味ではこちらも淘汰は激しいが、不安定な立場でもスポーツ漫画の方がまだ独自の色を出した作品は存在している気がする(スポーツ漫画についてはまだ書き足りないので、いずれまた書きたい)。
話をスポーツの活字媒体に戻すが筆者もスポーツ本はよく読むのだが、出版社や編集部・ライター全体が読者に媚びている風にしか見えない。
逆にブログも2005年頃のブログブームから10年以上経って文化になり、プロ野球でもブロガー出身の中溝康隆(プロ野球死亡遊戯)や広尾晃、サッカーなら地域リーグのロック総統などネット発で出版社や新聞社などの意味の無いしきたりに囚われない自由な人材の方が、新聞記者などより好まれて、ブロガーの方が紙媒体デビューする時代である(これは在野の人材に技量の高いライターが揃っているのと出版社の人材枯渇の両方を指す)。
②でもスポーツノンフィクションの人材枯渇について述べたい。