①からの続きだが、昔は活躍出来たチームの看板選手が衰えと共にチームも「主力選手の入れ替わり」と称して、世代交代というモノを突き付けられる。時の流れというのは残酷である。

しかし、こうした世代交代というのは野球でもサッカーでも必ずやらなければならない仕事なのである。

筆者が愛読しているGIANT  KILLING で作中の日本代表監督のブランが代表の親善試合で、ウルグアイ代表のペーニャ監督を現役時代に「スタープレーヤーでも走らない選手は使わない」とチームの若手を重宝して、クラブチームの主力選手の世代交代を敢行し、見事に成功したという話があったが、どれだけその看板選手を重宝しても、監督が世代交代に成功したら、サポは現金だから新しい監督のやり方を認めてしまう。

逆にこちらは現実の世界だが、以前ラグビー日本代表監督のエディ・ジョーンズも、2003年のラグビーW杯で豪州を準優勝にまで押し上げ、次のW杯では優勝を期待された。

…ところが…

エディ監督は主力の世代交代に失敗し、豪州代表は低迷。エディ監督は半ば解任に近い形で辞任に追い込まれた。あの名監督でも、少しでもチームマネジメントに失敗したらバラバラになるくらい世代交代というのは繊細な作業なのだ。

世代交代というのは言ってみれば諸刃の剣のような部分もあるし、クラブが成長していく時の成長痛や割礼にも似た要素も孕んだモノである。

やらなくてよければやりたくない。しかし、仕事である以上やらないといけない。それが「世代交代」という仕事なのだ。