①では歴史的な言葉の引用をしながらアジアのサッカー界を考えてきた訳だが、②ではもっと掘り下げて考えていきたい。
今、W杯アジア予選で日本代表が苦戦しているのはアジアの代表チームの戦力が向上したからだという話をしたが、今のアジアのナショナルチームはどういった構図なのか?
よく言われていることだが、中東は中東でオイルマネーで優秀な外国人指導者をお雇い外国人として雇っていたり(中国の不動産マネーも然り)、東南アジアも日本や韓国のクラブチームレベルの監督がその国の代表チームの強化を手がけて、少しずつではあるがチームの芽がでつつある。
サッカーに限った話ではないが、以前教育ジャーナリストのおおたとしまさが言った言葉だが、人間を成長させるのに「教育」と「人材育成」というキーワードがある。日本のメディアをこの2つをごっちゃにしてしまう。しかし、この2つは実は全く意味は別だと、おおたとしまさは言う。
樹木で例えると「教育」というのは種や小さな芽に水や肥料をやり、大きな木に伸ばすこと。「人材育成」とは、その大きくなった木を、その木の個性を活かしながら適材適所に配置して、その木材の存在価値を有効利用しながら、役割を全うすること。
要は「教育」というのは基礎部分の役割。「人材育成」というのは応用部分の役割を差す。
だから、どんな種類の木でも小さな芽を大きくさせるのが教育。そこから同じ木でも真っ直ぐ伸びた杉の木は住宅の柱に利用し、曲がりくねったブナの木はアートな趣きのテーブルにする。伸びた木をこうした木材の個性に合わせた役割に加工するのが人材育成。
話をサッカーに戻すと、今のアジアのサッカーで言えば、日本は大きな杉やブナの木が大量にあり、凄い建造物やアートな家具も沢山あるが、昔の東南アジアは貧相な木材で造ったあばら家同然だった。
しかし、今の東南アジアのサッカー選手は代表の大黒柱になるような選手の「教育」も定着しつつあり、そこからチームの人間が拠り所にできるようなしっかりとした木材の柱や梁のある家や、住む人が使うセンスのある家具といった「人材育成」も加速し、日本と東南アジアの実力差は急速に縮まりつつある。
③ではJでの新興チームの台頭を見ていきたい。