①では中学野球で才能があっても、カネが理由で野球を続けるのが困難だという話をしたが、②でもその続きをしたい。
前述の「ヤキュガミ」で高校の進路を決める時に、三者面談で野球の強い私立に行かせようと教師が私立のパンフレットを見せたら、入学金の欄を見て主人公白戸大輔の母親があまりの高額ぶりに泡を吹くシーンがあった。
一方で、話は前後するが、①で対戦した地元の裕福な家庭の有望選手は子供の頃からバッティングセンターに好きなだけ行けて、私立に行くのも問題なし。
福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず、人の下にも人を作らず」と人間の平等を説いていたが、実際にはそんなことはなく、自身が肖像画となっているお金というモノが人の上にも下にも人を作って階層を作っているのが皮肉である。
結局、白戸は都内の都立高校で野球を強化している学校のセレクションを受けるところで1巻は終わっているが、さっきの話ではないが、野球というスポーツで大事なのはカネであって、①で述べたマタイ効果の富める者はますます富んで、貧しくなる者はますます貧しくなる、という世界になりつつある。
野球の話を今したが、筆者が好きな相撲やボクシングにも似た傾向がある。相撲のわんぱく相撲やボクシングのU-15で好成績を挙げた選手が、有力中学・高校で実績を積んで名門大学に入るか、高校卒業と同時にプロ入り。
相撲部屋なら強豪大学の相撲部とコネのある境川部屋や木瀬部屋、ボクシングならテレビ局の放映枠のある帝拳ジムや大橋ジムに入門し、格下とのマッチメーク。
力士ならアマチュア相撲で実績を積んでマゲのゆえないざんばら髪の力士もそうだが、相撲でもボクシングでも最初から勝つ選手というのは決まっていて勝つ選手はどんどん有力な条件で勝っていき、叩き上げの選手は不利な条件でどんどん負けていく。相撲もボクシングもある意味マタイ効果になっている。
プロ格闘技というのも面白くない訳ではないが「面白いけど夢がない」世界に成り下がった感がある。
スポーツの関係者はこうした格差社会で本当に子供が夢を見られるか一回考えた方がいい。