東京で統一プロバスケットリーグ・Bリーグのオープニングゲームが行われた2016年9月22日に、奇しくも同日の高知県の陸上競技場で23年前のJリーグの開幕戦と同じ組み合わせである横浜F・マリノスvs東京ヴェルディの試合が行われた(サッカー天皇杯3回戦でこの日の結果は4-0でマリノス)。
考えてみれば、この23年間サッカー界には色々なことが起こった。何よりこの2チームの名称は今と違って「横浜マリノス」と「ヴェルディ川崎」という名前で闘っていた。
あの当時の新しい日本国民のプロスポーツリーグへの異常なまでの欲求というのは、傍目から見て、少し怖さも感じるくらいの熱狂だった(余談だが、Bリーグ開幕戦で試合に興奮していた広瀬アリスは1994年生まれで、広瀬すずは1998年生まれ。Jリーグ開幕戦の時はまだ2人とも生まれていない)。
代々木のBリーグ開幕戦ではA東京が琉球を80-75で下したが、1993年5月15日のJリーグ開幕戦ではヴェルディの外国人マイヤーがJリーグ初ゴールを決めるも、マリノスが逆転に成功し2-1で歴史を作った。
このJリーグ開幕戦の頃はオフトジャパンの時代で、まだ日本はW杯本戦に出場したことがなかった。そして同年10月のカタール・ドーハでの有名なあの「ドーハの悲劇」で初出場をすんでのところで逃した。
その後、サッカー日本代表は1997年にW杯本戦の初出場を決めて、以降5大会連続で本戦出場を果たしている。
一方で、マリノスと同じ街にあったJクラブの横浜フリューゲルスは親会社の全日空の撤退で、そのマリノスに吸収合併となり「F・マリノス」となる。ヴェルディも全盛期の面影を失い、東京に移転するもクラブの経営難で読売グループの傘下から外れ、慢性的な資金不足の状態でJ2で奮戦している。他のJリーグクラブも経営難による募金活動などが相次いだ。
一方、話は前後するがバスケットはJリーグ開幕戦の1年前の1992年のバルセロナ五輪でNBAの五輪参加が解禁。アメリカ代表はドリームチームで圧倒的な実力のもと金メダルを獲得。そして1990年に始まったバスケット漫画の金字塔「SLAM DUNK」で国内のバスケット人気も最高潮に達した。
…ところが…
日本のバスケット界は偏狭なアマチュアイズムにこだわり、プロ化を先延ばし。2004年に田臥勇太がフェニックス・サンズで日本人初のNBAプレーヤーになるも、国内のバスケ人気はサッカーから大きく水を開けられた。
そうした煮え切らないバスケ界の重鎮に反旗を翻した一部のバスケ関係者が2005年に分離独立したのが日本初のプロバスケットリーグであるbjリーグだった。
しかし、bjの場合は本家のバスケット協会と喧嘩別れした組織なので、人材不足から最初は米軍基地のアメリカ人に審判を頼んでいた。要はbjリーグというのは野球で言えば、プロ野球ではなく独立リーグのような存在だった。
そのこの2リーグ制が並存し、煮え切らない日本のバスケット界幹部にFIBA(国際バスケット連盟)の堪忍袋の緒が切れた。統一リーグにならない限り、バスケット日本代表の国際大会の出場禁止という強硬措置に出た。
このFIBAのショック療法という名の賭けが上手くいき、日本バスケット協会のトップは引責辞任。両リーグを元Jリーグチェアマンの川淵三郎が短期間にまとめて、Bリーグを発足。バスケット日本代表も国際大会に復帰した。
こうして2016年9月22日に交錯した東京代々木のBリーグ開幕戦と、同じ日の高知県で23年前のJリーグ開幕戦と同じ組み合わせの天皇杯3回戦からざっくりと2つのスポーツの歴史を思い出してみた。
23年前の日本サッカー界にはまだ「海外組」という言葉は存在しなかった。2016年に統一プロバスケットリーグがスタートした。これから田臥勇太以外のNBAプレーヤーがこのリーグから生まれるかもしれない。「歴史は繰り返される」モノだから。