①ではインターネットが生まれる前のスポーツ界で最も重要なのは情報の有無であったことを述べたが、ネットが出来て一般人でも莫大な情報を集めることが可能になった21世紀の現代スポーツの勝敗を分けるモノは一体なんなのか?ということを追求していきたい。

この読者の中には「結局のところ今のスポーツはカネだろ。カネがなければ勝てない時代なんだ」という身も蓋もない考えを持つ人もいるだろう。

しかし、それなら2015年のセ・リーグ王者はヤクルトだし、2016・17年は広島カープだ。少なくとも巨人はこの3年間セ・リーグのペナントを取れていない。

メジャーリーグのヤンキースにしたってここ何年かワールドシリーズのリングを毎年取れているのかというと、2009年以降取れていない(2016年10月9日執筆なので今シーズンのMLBの結果はわからない)。

現代のスポーツの勝敗を分けるモノが情報でもカネでもないなら、一体最終的に何が勝負を決めるのか?

筆者の持論だとそれは「哲学」である。チームとしてのフィロソフィーがあるチームというのはある意味、カネや情報の有無に関わらず強いのである。

しかし、Jリーグでも自分の愛するJ2ジェフ千葉などは哲学もへったくれもなくただ勝てばいいという勝利至上主義という名の原理主義に成り下がってしまった。

とはいえ、チームの哲学というのは自動販売機のジュースのように、小銭を入れてボタンを押せば気軽に手に入るようなモノではない。無様な試合を繰り返し、あざけり笑われてあがいた末に後天的に「つかみ取る」モノであって、最初から才能として先天的に「持っている」モノでは決してない。

世界のサッカー関係者の中で最も目標とされるスペインのFCバルセロナ(通称バルサ)にしても、オランダ代表だったヨハン・クライフが「無様な勝利を手に入れるくらいなら、美しく散った方がよっぽど価値がある」というクレイジーな思考の下で、世界に冠たる超攻撃的サッカーを構築して世界一を何度も経験した。

しかし、バルサにしたって宿敵レアル・マドリーとのスペイン国内における歴史的・文化的な対立も存在し、現在の攻撃的サッカーを構築するために、何十回もどうしようもない惨敗も経験したであろう。

そうしたバルサの何十年にも渡る試行錯誤を続けてきた歴史的な経緯を尊重せず、1〜2年で上っ面のバルサスタイルを真似て降格や下部リーグのぬるま湯に浸っているクラブなんて世界中に存在する(すいません。我らがジェフ千葉なんてまさにそのまんまです)。

つまるところカネも情報も氾濫したトップレベルでの現代スポーツにおいて雌雄を決するモノは哲学であり、それは言葉を変えればそのチームのフロントや指導者の「生き様」なのである。