今回のテーマはのっけから重いモノだが、まあ聞いて貰いたい。

本来ならこのブログとは関係ない「食品偽造」という言葉だが、日本ブランドの失墜を招いたこの衝撃的な事件からだいたい10年くらい経つが、この事件の根っこも体罰問題の根っこも日本社会の同じところにある。

もともと食品偽造という事件のおおもとはインターネットがない昭和の時代に、食品工場やレストランの調理場などで

「どうせ客は馬鹿で味なんて分からないし、安価な偽物を使ったってバレやしないだろう」

と言う、一種の傲慢さや慢心から来たモノである。

この流れは1990年代に、映画公開後に謎の死を遂げた伊丹十三の「スーパーの女」で、おにぎりの明太子をシシャモの卵で偽造するシーンで詳しく分かる。

脱線した話を戻そう。問題はそうした職場の上司や先輩の「もともとこの業界では明太子をシシャモで代用するのが一般的なんだ」と新入社員が知る。

高校や大学を卒業したての新入社員が仕事を教わる時に聞いたら、何も知らない若者はそこに疑問など持たずに「そうなんだ」とシシャモの卵を使うことに何の抵抗も罪悪感も持たないだろう。

そうした社員が年を重ねて「我が社のカルチャー」としてずっと続けていたことが、ある日追い詰められた下請け工場などの内部告発で「食品偽造」となってしまうのである。

「今回の内容はスポーツと関係ねェだろ!独眼鉄っ!」と突っ込まれそうだが、それが大ありである。この仕組みは日本の体罰問題のからくりとまんま同じだからだ。〈②に続く〉