①では中国のサッカークラブのボランチが相方がセレソンのレギュラーで急速に力をつけてきているという話をしたが、こうした動きは昔のJリーグにもあったのである。

①で少し話が出たサンフレッチェ広島の監督をやっている森保一(もりやす・はじめ)というのも学生時代は全くの無印でダークホースだった。

長崎日大の出身だった森保は当時の長崎の高校サッカーで絶対王朝だった国見には勝てず、高卒で当時日本リーグのマツダ(サンフレッチェの前身)に入団した。

2〜3年で引退するだろうとプロにさほど野心のなかった地方のサッカー小僧は、のちの日本代表監督であるオランダ人・ハンス・オフトの薫陶を受け、背中に目があるビハインド・ザ・ボールの申し子として、代表デビュー時に「もり・やすかず」と呼ばれたのが、対戦相手のアルゼンチン代表監督に「日本にはいいボランチがいる」といわれるほど潜在能力の高い選手として、後の日本代表を牽引した。

そうしたボランチはまだいる。日本代表サッカー史に名を連ねる名ボランチ福西崇史もそうだ。愛媛の無名校でFWだった福西は、当時ジュビロ磐田で監督をしていた前述のオフトにボランチ転向を勧められ、そのボランチの相方が当時のセレソンのキャプテンだったあのドゥンガ(汗…)。

全く無印の地方のサッカー小僧がセレソンのレギュラーの鬼のような熱血指導でコンビを組んだことにより、福西は当時の日本代表でなくてはならない絶対的なボランチとして急成長した。

翻って①のパウリーニョと中国人ボランチとの関係性である。今の中国サッカーのステータスは正直言って低い。しかし昔は日本もW杯に出場することすら夢のまた夢だった。中国代表のボランチが成長しない保証もないのだ。

この先のアジアのサッカー史はどうなるか?それは神のみぞ知るのである。

追伸  今回のタイトル「Boy  meets  legend.」ですが、文法上は「A  boy  meets  a  legend.」が正しいです。しかし90年代の名曲タイトルとかけるため、敢えてこの表現にしました。ご了承ください。