①では日本サッカーの知られざる独裁的な側面を述べた訳だが、他にもあるので書いていきたい。
大学を卒業してスポーツライター、特にサッカーライターになりたい若者は多いかもしれないが、人生を決めるのは当人の自由意思だから好きにすればいいが、実際のサッカーは①でも述べた魑魅魍魎の世界だ。
サッカーライターのなかでは知られた話だが、代表戦など日本サッカーの主要な試合でライターが記事のゲラ(下書き)を書き終わったあと、JFAの広報がその記事を「誤字脱字がないか?」という名目で「確認」作業するという話がある。
しかしこれはいわば検閲(けんえつ)の役割を果たし、JFAの批判をしていないかという言論の自由を奪っているとも取れる作業をしている。
こうした話はJクラブのレベルでもあることで、クラブの番記者は突っ込んだクラブの批判をするとメディアパスを取り上げられるからできないと言っていた。
こうした日本サッカー界の独裁体制というのは第二次大戦の旧日本軍の大政翼賛会批判の禁止や治安維持法のようなサッカー言論の弾圧をやっているのである。
最近サッカーではロック総統や他のブロガーのような他で仕事を持ちながら、サッカー言論を追求していっている在野(素人)の文壇が数多くいるが、今の時代、既存メディアも政界に骨抜きされているのと同様にサッカーメディアも在野の言葉のパワーも侮れなくなりつつある。
一般政治もサッカーも言論統制されているのは変わりはないのだ。