①では日本の歴史が責任を預かるべき指揮官が勝利のシュミレートしかしていないからこそ、敗北時に途方に暮れたり、敗北そのものを隠蔽しようとするという話をしたが、それは現代社会でも根強く残る悪しき伝統だ。 

一般のビジネスでもバブル期の長銀の刑事責任モノの粉飾決算(結局、ツーカーである最高裁は当時の経営者に執行猶予をつけた)や現代の東芝の粉飾決算や三菱自動車のリコール隠しにも、その悪しき伝統を見てとれる。

脱線した話をスポーツに戻そう。以前にも話したことだが、永遠に勝ち続けられるチームは100%全力で戦っても負ける時は負ける。当たり前である。

しかし、何の犠牲も払わずに安全地帯から感動という名の美味しいところをかすめ取りたいマスコミはそんな当たり前のことを隠蔽し、五輪やサッカーW杯や野球WBCの前は勝てば官軍のように煽るだけ煽る(ボクシングの亀田問題の時もそうだった)。

しかし、いざこうした国際大会で選手やチームが負けると、一転して手の平返して戦犯探しに走る。

W杯を見ると分かるが2006年ドイツ大会では勝利を予想して敗北し戦犯探し、2010年南ア大会では珍しく敗北予想で開催地は治安が悪いから恥かく前に早く帰ってこいというのがベスト16で、手の平返して賞賛。そして2014年ブラジル大会では懲りもせず勝利を予想して敗北→戦犯探しと、マスコミの風見鶏ぶりとニワトリ並みの学習能力の無さには呆れるのを通り越して悲しくなる。

何度もいうが戦争であれ経営であれスポーツであれ、勝負事には100%はなく負ける時は負けるし、自分達は特別で自身に有利な神風が常に吹く訳ではないのだ。

勝負事を理解したいなら、負けるシュミレートもできる徹底的に冷徹なリアリストでないと、この激烈に厳しい環境から淘汰されてしまうのだ。