今回は子供の頃憧れたスポーツエリートには引退後も永遠のヒーローであってもらいたいことを述べた訳だが、もう少しこのことについて言及したい。

以前読んだ本で、熱烈な巨人ファンである爆笑問題の田中裕二は意外にもプロ野球選手と呑みにはいかないということを語っていた。

下手すれば田中の後輩芸人でもプロ野球選手と呑みに行くし行けるのに、田中はそれをしない。

なぜなら田中にとってプロ野球というのはヒーローであり、一種の神に近い存在だからそうした崇高な立場の人間に気安く友達感覚で付き合うのは恐れ多いと言いたいのだ。

自分は田中ほど稼いでいる人間ではないが、田中の考えには賛同できるモノがある。

このブログでどれだけの女性が読んでいるか分からないが、ここで言うヒーローというのはクラスのマドンナ的な崇高さとは意味合いは全く違う。

男子のヒーローとクラスのマドンナのどちらかに優劣がある訳ではなく、崇高さの「質」の違いである。

そうした永遠の野球小僧にとってプロ野球選手というのは永遠のヒーローであり、神いってるではないが、神に近い立場である。

そうした現人神(あらひとかみ・現実世界に存在する神)が没落されると困るのだ。

今年(2016年8月14日執筆)始めに甲子園のスターからプロ野球を引っ張ってきた清原和博が覚醒剤で逮捕された。

罪は然るべきだし逮捕されて当然だ。まして筆者は清原ファンではない。

しかし、この件で自分自身は大したことないくせに、いかにも人生の達人を気取って「清原みたいなのは不幸なんだよ〜」とかいう爺ィ(もしくはマスコミ)とかは、クソと呼ぶのがクソに失礼なくらいクソである。

とにかくグラウンドで白球を追うヒーローたちにはユニフォームを脱いだ後も、ヒーローのままでないと本当に困るのだ。

スポーツをやる子供が堕ちたヒーローを見て幻滅する姿なんて見たくない。