①ではサッカー日本代表選手の言葉から努力の本質を探っていったが、②では他のスポーツからも見ていきたい。
この間読んでいた寺嶋裕二の高校野球漫画「ダイヤのA」で主人公のライバル校である薬師高校の轟監督が、
「努力って言う言葉に馴染めなくてよ。何かと言うと真面目で辛気臭いイメージがあるが、違うだろ」
「何かに夢中になってる奴は、周りがどう言おうと勝手に(努力を)やってるんだよ」と言っていて、①にも通じるがその通りだと思った。
この言葉を聞いて思い出したのは(手前味噌で恐縮だが)、他ならぬ筆者自身のボクサー時代のことであった。
筆者のボクサー時代というのは、それまでの野球や柔道でのちゃらんぽらんな自分に決別すべく、アホかと思われるくらい練習して走りまくっていた。
ボクシングの技術論は当時は全くわかってなかったので、カケラも強くなってはなかったのだが、練習自体は自分から主体的に(勝手に)やっていたし、またその練習は楽しかった。
今回のテーマは何もスポーツに限った話ではないが(筆者の場合は結果が伴ってなかったので、その部分はキツかったのだが)、それでも「努力を努力と思わない」と言うのも一種の才能でもあるし、このブログを読んでいる皆さんもそうしたモノと出逢える縁を大切にすれば、ある意味幸せな人生が送れます。そうした縁を大切にして下さい。