今回はスポーツにおける結果至上主義の弊害とスポーツの貧困の文化について書き連ねている訳だが、こうやって見てみると理想のJクラブというのは意外にもダメ虎時代の阪神であったのかもしれない。
というのも阪神は金本監督1年目の今年(2016年)は全然ダメであったが、ダメ虎時代のタイガースというのは今とは比較にならないくらいダメで、周知の通り久万球団社長が「(阪神が)優勝するな。優勝すると年俸が高額になる。2位がちょうどいい」とふざけた発言をしたり、編成も巨人や西武といった金満球団との指名競争を最初から負け犬根性で撤退するなど、あの時期の阪神のフロントはクソの中のクソであり、クソ呼ばわりするのがクソに失礼なくらいのTHE クソだった。
あれから星野仙一監督が球団を改革して阪神はドラフトでも大学球界のNo1投手を指名できるほどの球団に成長したが、話をサッカーに戻すと、Jクラブのフロントにとってダメ虎時代のタイガースほど羨ましいチームもないという話である。
「あのしょうもない頃の阪神が羨ましい⁈」と思うかもしれないが、今のJクラブの観客動員を考えると、筆者が愛するJ2ジェフ千葉もそうだが、成績もカテゴリーも下がれば下がるほど動員数は下落の傾向にある。
Jクラブの収入というのはスポンサー収入と入場料収入がほとんどであるが、Jの結果至上主義だと勝たないとスポンサーも離れるし観客も来なくなる。
しかし、ダメ虎時代の阪神はどんなにチームが弱くても甲子園球場は連日超満員。甲子園なんて4万人以上入るスタジアムがぶっちぎり最下位でもあれだけお客さんが入るというのは、あの当時は普通に思っていたが、今考えると凄いし信じられない話である。
翻ってJ1という世界は18チームしかないから、結果至上主義に走るとサッカー文化が花開くところというのはたった18の自治体しかなくなってしまう。
しかし、サッカーという文化が結果第一主義に走らずに北海道から沖縄まで全国津々浦々に浸透させるには、究極の水物である勝敗のみにビジネスを委ねるのは危険(無謀?)である。
世界中のサッカーファンを魅了するスペインのFCバルセロナの礎を築き、今年(2016年)亡くなったオランダ人ヨハン・クライフも「無様に勝つ試合をするなら美しく散った方がいい」という言葉を残している(ジェフは無様に負けてばかりだが)。
野球という文化が試合以外の要素を楽しむ空間を1世紀かけて築いてきたように、サッカーもまたこれからの時代、試合結果以外の要素にフォーカスしてスポーツ文化を構築して、それを愛する空間が必要だ。欧州や南米のサッカー文化は素晴らしいが彼らの殺伐とした雰囲気まで輸入する必要はない。
「日本には日本の道がある」