①の続きだが、高校ボクシング界で好成績を引っさげロンドン五輪を目指すと宣言した内藤律樹少年。しかし、その進路は意外なモノだった。
ボクシング界の暗黙の了解としてはアマチュアボクシングで上を目指すなら、基本的に関東大学リーグの強豪校に進学するか、自衛隊体育学校で競技を続けながら自衛隊幹部を選ぶしかなかった(しかし自体校も大卒者の入隊が大半だ)。
しかし律樹は自分の父が経営するジムで練習することを選び、バイトしながらアマチュアボクシングを続けた。
その後のことを言うと、律樹はプロ世界王者とのスパーリングで自分とトップとの差を痛感し、あっさりプロ転向。のちに日本SFe級(一歩で言う木村の階級)王者になった。
今回の本題はそこではなく、いわゆる知名度の高い大学に進学できるチャンスがあっても、今の18歳はそれに価値がないと判断し、あっさりそれを蹴ってしまうということである。
昔筆者が大学に進学しようとするなら学歴や学校の名前という看板は絶対的だった。
しかし、老舗の看板が銀行の融資に有利だったのが過去の話なのと同様に、大学の看板が就職に有利なのもそれは石器時代の大昔の話で、大学に進学しても就職出来ない若者も増えて、何百万円という奨学金を返済してまで、つまらない大学教授の駄洒落や自己満足の研究に時間や金を出すメリットを感じない若者もどんどん増えている。
筆者が思うには、医学部みたいに学問と職業訓練がリンクしているような分野なら、学費を支払う努力も親になったらまだする価値はあるが、意味のわからない潰しの効かない文系学部に2000万円の支払いをするのは金と子供の未来を両方ドブに捨てるようなモノだ。
こうした話は儒教の教えで教育を尊ぶ韓国でも同様で、韓国人アスリートも昔は名門大学出身がほとんどだったのが、いまは大学中退者や高卒の韓国人アスリートが増えた。
あまり誰かをdisるような記事は書かないが、今アジアで学歴という縛りが緩んで形骸化しつつあることを話した。こうした流れはこれから急激に加速する。