①では現代の政治外交における移民という存在とスポーツや芸術などにおける特別な技能を持った移民との格差を書いた訳だが、②でも特殊な技術を持った移民について書きたい。

移民や難民という存在が移住先で厄介者にされて非人道的な扱いを受けるのは、今のシリア難民のニュースを見ればよく分かるが、一方で特殊な技能を持った移民というのが外国で生きながら得るというのは、今のスポーツ移民が最初ではない(スポーツ移民が迫害されている訳ではないが)。

世界史の授業ではないが、1598年にフランスで「ナントの勅令(ちょくれい)」という画期的な宗教の宥和(ゆうわ)政策があった。

当時のカトリック信者でフランス国王だったアンリ4世がフランス国内で少数派のプロテスタント信者(ユグノー)もフランス国内に宗教的な迫害なく、一般人として住んでも構わないという先駆的な政策が施され、フランスは当時カトリックとプロテスタントの共存が一時的に可能になった。

異なる宗教が同じ国に共存できるというのは現代社会でも難しいのだが、当時のフランスはそれが可能になったのだ。

…しかし…

そのナントの勅令は後の国王ルイ14世によって1685年に廃止になり、フランスのユグノーは国を追われ難民となった。

ここまでの流れでこうしたフランスのユグノー難民は悲惨な末路なのか?と思うかもしれないが実はそうではなかった。

こうしたユグノーというのは当時の最先端の(時計のような)精密機械の技術者が多く、移民先で歓迎され、特にスイスでは多くのユグノーが移住した。

スイスというのは時計の国というイメージが強いが、実は昔は全く産業のない貧困国で、国の若い男子は傭兵(ようへい・金で雇われた兵士)になるしかなく、欧州全体で戦争国家というダーティーなイメージが強かった国だったのが、こうした移民&難民によってクリーンな工業立国の礎になったのだ。

アンリ4世もそうした政治的な思惑もあって宗教に寛容だったのもしれないが、現代の(①で述べたごく少数の)韓国人のスポーツ移民も、渡米して米国の市民権を獲得してメジャーで活躍するキューバ人野球選手にも、前述のフランス・ユグノーの時計職人の姿がダブッて見える。

しかし、今回現代の先進国の国政選挙を見て移民という存在が迫害される一方で、精密機械でもスポーツでも特殊な技能を持つ移民は優遇されるという、(ある種)悲しい歴史を紹介した。確かにスポーツという技能によって異国の地でも豊かな生活ができるのはよいことだ。

しかし、①でも述べた通り人間というのは生まれもって平等だということを忘れてはならない。本質的なモノを見失った政治家に安易に追従すると火傷をするだろう。