①では昔のプロ野球選手というのが、最初から野球だけで食べていけるという常識があったわけではないという話をしたが、②でも話を続けたい。
話は①の戦前戦後の時代から下って1985年年末。サッカー王国静岡県で1年時から清水東高校のレギュラーで冬の選手権で大活躍していた当時18歳の武田修宏が、進路について監督と揉めたことがあった。
冬の選手権で中心選手だった武田には、名門大学でサッカーの強豪でもある早稲田や筑波と言った大学から推薦入学の話があった。
しかしこの時武田少年は「勉強するよりサッカーだけやってた方がいい」と推薦の話を蹴って、高卒で当時としては異端だったプロサッカークラブの読売クラブ(現・東京ヴェルディ)を選んだ。
この選択に高校の監督は猛反対して武田の進路相談は揉めに揉めた。監督としては当時の常識では優秀な高校サッカー部員は冬の選手権のあと、名門大学に進学して実業団サッカーのチームに所属するのが当然だった。
しかし結局武田は周知の通り高卒でプロサッカー選手になり、後にプロ化したJリーグの看板選手となり、日本代表でもドーハの悲劇を経験するような超一流になった。
ここで言いたいのはサッカー日本代表に入れるような高校の監督でも、昔はサッカーだけで食べていけるというのは夢物語だったという「常識」だった。①のプロ野球同様サッカーもまたプロ化する以前と今では常識が違ったのだ。
そして21世紀に入ってすぐにスポーツではないが、格闘ゲーマーのプロという存在が日本でも出てきた。
お隣韓国では空軍がプロゲーマーを隊員として雇い年俸1億円というプレーヤーもいて、日本の場合もそこまで相場は良くないが、それでもプロゲーマーという存在もいる。
しかし1990年代くらいにゲーマーの高校生が「格闘ゲームのプロになりたい」と言ったら、周囲の大人は考え直せと言っただろう。
しかし2016年の現在、プロ格闘ゲーマーという職業は存在する。
①からこの一連の流れを見て感じるのはいつの時代も野球でもゲームでも、娯楽の生まれたてにその遊びを生業とするのは当時の常識では考えられなかった。
しかし今では野球もサッカーもゲームもプロ選手として生業にできる時代になった。
今年(2016年)のリオ五輪が終わったあとの秋に新たなプロスポーツが誕生する。
日本初の統一プロバスケットリーグ「Bリーグ」がスタートする。名作バスケット漫画「SLAM DUNK」の作者である井上雄彦は「昔はバスケットだけで飯を食っていくのは考えられなかった」と語った。
しかし前回と今回のブログを読んでくれた読者はもう分かるだろう。
「常識は変わる、歴史は繰り返す。」