今回も前回に続きグローバル化についてである。ご了承願いたい。

最近、筆者のブログでグローバル化のことを多く取り上げているが、最もグローバル化に成功した日本のプロスポーツというのは、意外にも閉鎖的な大相撲だった。

大相撲も国内の新弟子だけでは立ち行かなくなり、海外の新弟子確保も解禁にとなって、現代の大相撲は外国人力士抜きでは考えられなくなった。

しかし少し前の話だがこんな話があった。

「朝青龍という横綱はグローバル化の象徴のような存在だ」

「朝青龍を含めた外国人力士が日本に来てくれたことにより、日本の国技である大相撲は物凄く活性化された」

「しかし、それにより日本の力士は駆逐された」

「ただそれは弱肉強食の世界だからまだいい。問題はそうした強者が大事な角界の仕事である巡業をサボって母国でサッカーのリフティングをするという、昔の常識なら考えられない行動を起こすというまで発展したことだ」

あれから時代は下って角界のウィンブルドン現象はどんどん加速していった。

スポーツの世界に限らず、ネットニュースを見ればアジア各国に対するヘイトスピーチが洪水のように起こっている。

しかし、今の時代「昔は良かった」と言った懐古趣味に走る老人が増えたが、本当に昔が良かったか?グローバル化が無かった方が良かったのか?という話である。

②でももう少しグローバル化の行方を見ていきたい。