①ではグローバル化とIT革命が加速する昨今、国内の規制なんて無意味と言う説明をしたが、②では卑近な例えからもう少し掘り下げていきたい。
「卑近な」と言う言葉で察しの良い人もいるかもしれないが、例えるのは自分がやってきたボクシングからである。
①で述べたように昔の日本のボクサーは網膜剥離の引退もそうだったが、年齢制限などの決まりもコミッションの裁定が絶対だった。
だからどんなに才能のあるボクサーでも17才になるまで試合は出来なかったし、試合出来る能力が残っていたとしても37才になったら強制引退させられていた。当時はそうするしかなかった。
だからボクシングジムに通うボクシング部のない高校生は、高校入学後(何も悪いことをしてないのに)2年近く試合に出られないという話もあった。まさに国家の権威という圧力が与えた馬鹿な話だ。
しかし2005年頃に当時の大阪の中学生ボクサー奥本貴之が15才での中学卒業の進路に、高校に進学せずに専業ボクサーの道を選び、タイでライセンスを取得しプロデビューを果たした。
そしてデビュー2戦目で元世界王者ラタナポンとノンタイトルの試合をマッチメークされた。
こっちはついこの間まで中学生で、向こうは世界を敵に回してのし上がった元世界王者。当然叶うはずもなく「石で殴られているかと思った(奥本)」というパンチでフルボッコにされた上にKO負けを喫した。
日本のコミッションは「常識の範疇でのマッチメークを」という声明を送ったが、この頃辺りから国内の規制が無意味になってきたように見えた。
今年(2016年)夏に井岡弘樹の持つ18才での最年少世界王座獲得記録に挑戦する加納陸というボクサーもいるが(2016年5月28日執筆)、このボクサーも中学卒業の15才ではタイやフィリピンのライセンスで海外で活動し、17才で日本のライセンス取得可能になってから国内に主戦場を切り替えた「逆輸入」ボクサーである。
一方で37才以降の方も、日本のライセンスでデビューしメジャー団体挑戦経験もあり、東洋タイトルを取った西澤ヨシノリ(別名・中年の星)が王座陥落後にコミッションが引退勧告を受けるも、豪州や韓国・タイでマイナー団体に挑戦し続け、47才で引退した例もある。
ここで話を戻したいが、日本のコミッションでは日本のボクサーは「17才以上37以下」までしか昔はプロの試合には出られなかった。
しかし今ではグローバル化の波によって、それより低年齢でも高齢化しても試合に出られて、しまいにはコミッションのルールすら変わってしまった。
今の時代、こうしてグローバル化の激流が日本にまで押し寄せ、コミッション(国家)の規制なんぞ何の意味も成さなくなった。
またグローバル化と国家の規制については考えていきたい。
追伸 加納の最年少記録の挑戦は失敗だった。