①では1992年のバスケットが大ブームになった理由の一部を書いていったが、②でも続きを述べたい。

SLAM  DUNKが始まったら、中学の部活動で一番人気になったのは野球部でもサッカー部でもなくバスケット部になり、みんな高いバッシュを揃えてとにかく漫画の中の花道や流川の様になりたいとプレーしていた(そしてこの頃は同じ高身長が有利なバレー部に選手が入りづらくなった)。

とにかくこの頃のSLAM  DUNKのキャラクターはインパクトが強烈な上に華があった。

主人公の赤く染めたリーゼントの桜木花道のリバウンド(花道は自身のことを「平成のリバウンド王」と呼ぶが、後にこれは今の筆者含め、過度なダイエットのリバウンドで体重が跳ね上がることを指す言葉として使われている)、流川楓の天才的なプレー、厳しさを兼ね備えながらチームを支える大黒柱のゴリこと赤木剛憲、スリーポイントシューターのミッチー(三井寿)、小柄ながらドリブルの切れは抜群のガード・宮城リョータ、レギュラーでなくても常に不測の事態に備えて練習を続けて後輩を見守るメガネ君(木暮公延)…。

他にも花道が一目惚れした晴子さんや美人マネージャーの彩子さんなど、SLAM  DUNKのキャラクターは皆魅力的で、本当にこの漫画のバスケット人気やインパクトは凄かった。

…しかし、この漫画の人気も去ることながら、他にも1992年にバスケットが人気になった理由はある。

それがこの年のバルセロナ五輪でプロスポーツ選手の五輪出場が解禁になり、NBAのトッププレーヤーがアメリカ代表を作って、マイケル・ジョーダンらのまさに「ドリームチーム」の面々がスペインのコートを縦横無尽に駆け巡ったのだ。

この時のドリームチームとSLAM  DUNKという2つの流れが交わった激流は、大きなうねりを出しながら濁流となってまさに日本列島を呑み込んだ。

ジョーダンのモデルになったナイキのバッシュであるエアマックスは高値が付いて、エアマックス狩りという(犯罪行為だが)社会現象にもなった。

こうして1992年のバスケットブームを振り返ってみたが、あの頃のバスケット人気は(陳腐な表現だが)ちょっと怖かったぐらい凄かった。今もバスケット漫画はあるし、プロバスケットリーグも生まれたが、この年のバスケット人気を超えるのは想像つかない。それだけのインパクトだった。