①ではこうした筆者と野球とのこれまでの薄い関係性から、ブログのために脱皮しようとして神宮球場のヤクルト戦に向かった経緯をつらつらと書き連ねてきたが、②では実際の野球の試合を見ていきたい。

この試合を見たのは2016年4月29日のヤクルトvs巨人戦だった。このブログがupされている頃には夏の暑さがひと段落しているだろうが、このブログを書いているのはGW(2016年5月1日)である。

ジェフ千葉やボクシングのために所持金がスポンジのように吸収されてしまうMY財布。その上ブログのネタ探しに他のスポーツにもチケット代や交通費が吸い取られるので、この日の神宮は外野席(2000円)にした。

しかもGWだっつーのに寒気が東京上空に残っているから、北風が吹いて寒いのなんの(T ^ T)。そんな中でのプレイボール。

今回10年ぶりに神宮球場に行って感じたのは阿部慎之助は偉大過ぎだというところだ。よく親の有り難みはいなくなって初めて気付くというが、阿部がいなくなった(まだ現役だが)後の巨人打線というのがここまで貧打拙攻なのかというのは正直愕然(がくぜん)とした。

よくプロ野球ファンは巨人に限らず「生え抜きの4番打者(orエース)」を求めるが、実際に2軍で活躍していた若手を2~3試合使って駄目ならすぐ「次のストーブリーグで補強だっ!」と手の平返す。それは巨人に限らず、人気球団は皆同じだ。

サッカーでも同じなのだが、偉大だった先代の存在という名の蜃気楼(しんきろう)を追いかけて、世代交代に失敗して底辺をのたうち回るプロサッカークラブは世界中にゴロゴロある。あっ、すいません、そのクラブは我らがジェフユナイテッド千葉にもあてはまります。

要はサッカーも野球も、ファン(サポ)に選手が育つのを待てる忍耐力が失っているのだ。

このブログがupされている頃にはシーズンも終盤戦だが、以前山本昌も「(勝ち星を計算できる投手は)そう簡単には生まれない」と言っていたが、それは中日投手陣だけではなく、巨人の4番も同じだ。

筆者はプロ野球に関してはどこのファンでもないいわゆる「無党派層」だが、この日の5安打1得点の残塁祭りだった巨人打線には何か言語化できない淋しさを感じた。シーズン終盤をプロ野球はどう闘っているか?それは分からない。

追伸  周知の通り、2016年のセリーグは広島カープが優勝した。